●尾崎豊の原風景
尾崎豊が幼少期を過ごした練馬。今年は没後25年ということで、練馬にある「尾崎豊ゆかりの場所」を紹介します――。
●都営住宅跡
【尾崎豊の生家】
尾崎豊が幼少期を過ごした都営住宅があった場所。当時の区画がそのまま残されている。

尾崎豊の生家があったのはこの辺り。六畳二間の平屋で、健一さんが庭に作った池で泥遊びをするのが大好きだったという。

健一さんは、日曜大工で住宅の東側に隣接した風呂場も造り、南側には知り合いの大工に頼んで、本格的な四畳半の子供部屋の増築も行った。

<住所>
東京都練馬区春日町2丁目
※都営大江戸線「練馬春日町駅」から徒歩10分
国際興業バス「春日町」停留所から徒歩1分
【幼少期の写真】
兄の尾崎康さん著「弟尾崎豊の愛と死と」の扉ページに掲載されている兄弟で映った写真。

扉ページの写真が撮影された場所は、下の写真の柵の一番奥の角付近。

「尾崎豊 THE MEMORIAL」封入のアルバムには、柵の前で父親と一緒に映っている少年時代の尾崎豊の写真もある。

●ボロ公園
都営住宅の東側にある小公園で、ボロ公園と呼ばれていた。

夏休みの土曜日の夜に打ち上げられるとしまえんの花火がよく見え、住宅の大人も子供も花火が上がるとこの公園に集まった。

●田柄 (たがら) 保育園
1967年8月から1968年5月に春日町第二保育園に転園するまで、ここに通っていた。

アッコちゃんという女の子と仲が良く、引越しでいなくなってしまったその日は、一日中メソメソしていたという(笑)

<住所>
東京都練馬区田柄4丁目36−4
●春日町第二保育園
1968年5月、尾崎豊が2歳の時、田柄保育園から生家の近くにあるこの保育園に転園した。

新しい保育園にもすぐ慣れて、元気いっぱいに通っていたそう。「豊ちゃん豊ちゃん」と園内では人気者だったとか。

また、保育園の遠足や、休日に家族でとしまえんをたびたび訪れていた。

<住所>
東京都練馬区春日町1丁目29−8
●田柄第二小学校
1972年4月に田柄第二小学校に入学。

兄と一緒に通えるということで尾崎はとても喜び、4月中旬にはグランドハイツの原っぱで練習して自転車にも乗れるようになった。

小5の1学期までをここで学んだ尾崎は、朝霞への引越しに伴って、二学期から朝霞第一小学校に転校した。

<住所>
東京都練馬区田柄1丁目5−27
●練馬東中学校
尾崎が朝霞から越境通学で通っていた中学校で、生家から徒歩5分ほどの所にある。

尾崎たちは、第二体育館の右隣によく溜まっていたとのこと。中3の時、仲間と家出したことが『15の夜』のモチーフになった。

尾崎はフォークソングクラブに入り、中1の時に文化祭で体育館で全校生徒の前で弾き語りを披露したところ大ウケして、一躍学校の人気者になったという。

<住所>
東京都練馬区春日町2丁目14−22
●春日町バッティングセンター
中学時代の尾崎がよく通っていたバッティングセンター。練馬東中学の真向かいにある。


<住所>
東京都練馬区春日町2丁目14−11
●豊玉公園(タコ公園)
練馬駅近くの公園で、巨大なタコのすべり台があることから「タコ公園」と呼ばれており、尾崎も子供時代に父親とよく遊びにきていた。

尾崎はここで、河内師範に躰道(たいどう)の稽古をつけてもらっていた。のちに谷原町の練馬体育館で稽古が行われ、亡くなる1年くらい前まで稽古を受けていた。

<住所>
東京都練馬区豊玉北6丁目8−3
●向山 (こうやま) 公園
『15の夜』の元になった家出をする際、学校の仲間たちが集まった場所。

保育園時代は、父親と公園まで遊びにきて、仮面ライダーごっこで高いところから跳んで遊んでいたという。

<住所>
東京都練馬区向山3丁目13-3
●光が丘公園(旧グランドハイツ)
尾崎豊が練馬東中学2年生の時に友達と家出した際、最後に辿りついた公園。父親と一緒に自転車の練習もここでしていた。

当時はスクラップ置場が残っており、車のスクラップの中で寝ていた尾崎たちは見回りに来た先生たちに見つかって連れ戻されたという。

<住所>
東京都練馬区光が丘4丁目1−1
●下赤塚駅
尾崎豊が中学時代、朝霞から練馬東中学に越境通学していた時に使っていた駅。学校をサボって、下赤塚駅のベンチによく座っていたとのこと。

<住所>
東京都板橋区赤塚新町1-23-1
●編集後記
今年、没後25年ということで、初めて尾崎豊の練馬の生家があった場所に訪れてみました。
数十年前に住宅が取り壊されているにも関わらず、当時の都営住宅の区画が再開発されずにそのまま残っていたことに驚きました。
尾崎豊の生まれ育った場所を追体験することで、彼の歌を立体的に感じることができるようになるので、ファンは一度足を運ぶことをオススメします!
【記事引用】「尾崎豊 少年時代」「尾崎豊 新少年時代(1)」
「15の夜の舞台になった向山公園」「向山公園(15の夜公園)」