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月刊カドカワ / 1990年7月号

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●月刊カドカワ/1990年7月号
※1990年7月1日発行
 
 当時、月刊カドカワの編集長だった見城徹氏は、1980年代末のある日、新宿のヒルトンホテルのジムで尾崎豊と偶然再会した。
  
 最後に会ったのは渡米前だったが、彼はその頃の面影もないほどに落魄していた。
 
 
●復活したい
 
 所属のレコード会社も芸能事務所も金も無くしていた尾崎は、久し振りに会った見城氏に向かってこう呟いた。
  
 「見城さん、どうしても僕は復活したい」
 
 その頃、見城氏は編集長という立場になったことで、編集者としても人間としても堕落しており、そんな自分に嫌気が差していた。
 
 そんなこともあり、尾崎のその言葉に「尾崎の復活に自分の編集者としての復活を賭けてみよう」と一念発起。
 
 専属トレーナーになって彼をサポートし、人や金を集めて彼の個人事務所「アイソトープ」まで設立した。
 
 雑誌の編集長の範疇を超えており、会社にバレたらクビだった。
 
 
●巻頭での大特集
 
 さらに、月刊カドカワの1990年7月号で、巻頭70ページぶち抜きの尾崎豊大特集を組んだ。
 
 当時、月刊カドカワの総力特集に選ばれるのは、松任谷由美や佐野元春、米米CLUBなど現役バリバリのトップアーチストばかり。
 
 そのため、薬物事件で社会的制裁を受け、音楽活動も休止していた尾崎豊の大特集を組むことに、角川書店のあらゆる人間が大反対した。
 
 しかし、見城氏はその反対を押し切り、強引に雑誌を発売した。全ての責任を引き受け、尾崎の復活に賭けたのだ。
 
 もし、70ページもの大特集をやって売れなければ、とんだ赤っ恥を掻き、責任問題になる。尾崎豊を再デビューさせるという途方もない企ても、全て水泡に帰する。
 
  
●九万部完売
  
 しかし、この特集号は雑誌に羽が生えたかの如く飛ぶように売れた。
 
 九万部刷ってほぼ完売し、返品率はキズモノとして返ってくる3~4%ほどだった。それは、見城氏が月刊カドカワの編集長をやっていた7年半で最も低い返品率だったという。
 
 突如世間から消えた尾崎豊の言葉を、読者は渇望していたのだ――。
 

 
【記事引用】 「たった一人の熱狂」「編集者という病い
 
 

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