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革命と珈琲

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●歴史を動かした珈琲

 私たちが普段、何気なく口にしているコーヒー。

 コーヒーは近東にコーヒーの家を作り出して、ロンドンに渡ってコーヒーハウスとなり、様々な国の歴史を動かしてきました。その一例をご紹介。

 


●英国と珈琲との出会い

 コーヒーハウスを英国で初めて開店したのは、ジェイコブというユダヤ人。

 彼は1650年にコーヒーハウスを開店し、自分が仕えていたトルコ人が大切にしていたコーヒーを客に振舞ったところ、珍し物好きの人達に大ウケした。


                


 やがて、ロンドンの街中に立ち並ぶようになったコーヒーハウスには、目新しさに魅了された人々がぞろぞろと流れ込み、イギリスで大流行した。

 


●社交場の変貌

 町の酒場には男達が集まり、酒に酔って大騒ぎをしていた。歌い出すやつ、笑い出すやつ、泣き出すやつ、喧嘩が始まって酒樽と一緒に通りを転げ回るやつ――。


                


 始まりはいつも陽気でも、やがて度を越す者が現れだして、最後は支離滅裂の大騒ぎになり、全員へとへとになった辺りで酔いも冷めてやっとお開きとなる。

 ところが、コーヒーハウスという新しい場で出されたのは、アルコール飲料ではなかった。


                 


 コーヒーハウスは、多くの男達が集まる場で、酔っ払いが一人もいないという初めての状況を英国にもたらしたのである。

 そして、珈琲のカフェインに頭を覚醒され、その冴えた頭で男たちは「議論」をし始めた。


                


 そして、その議論の中で男達は政治や国内外の情勢を知り、そのことで自分達の置かれた立場を知ってしまうのである。

 徐々に男達は政治に覚醒し始め、政府に対して批判的な発言をするようになる。

 やがて、コーヒーハウスで新聞が売られ始め、コーヒーハウスに入り浸る男達は新聞を読むことで益々知識を得て、政治に目覚めるようになった。



●革命の火付け役

 しかし、民衆の覚醒を警戒したイギリス当局によって、コーヒーハウスの流行は下火にもっていかれ、穏やかなティーの国に変貌させられてしまう。

 そして、コーヒーハウスの飛び火は、対岸の国・フランスに飛んでいった。


               


 フランス当局は、コーヒーハウスが民衆を政治的に覚醒させ、そのことが王政にとって不利益になるという認識に欠けていたため、コーヒーハウスを野放しにした。

 そのため、やがてパリには、はばかることなく革命を叫ぶアジテーション・カフェと呼ばれる政治的に猛烈に過激な場を生んでしまうことになる。


               


 コーヒーハウスに集う人々の意見は、より前進した別の意見に補完されながら厚みと温度を増していき、ついにフランス革命が勃発することとなった。

 つまり、フランス革命の火付け役は、コーヒーハウスだったのである――。



●編集後記

 司馬遼太郎・著「世に棲む日日」より

 「革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、非業に死ぬ。吉田松陰がそれにあたる。

 革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作坂本龍馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。

 それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なく捨て、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごと。

 伊藤博文がそれにあたり、松蔭の松下村塾は世界史的な例からみても極めて稀なことに、その3種類の人間像を備えることができたのである。」



【記事/画像引用】 「コーヒーが廻り世界史が廻る」 「倉敷珈琲物語」etc..

 


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