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千鳥ヶ淵戦没者墓苑

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 千鳥ケ淵戦没者墓苑


 1959(昭和34)年3月に国によって建設され、第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡せなかった遺骨を安置している墓苑。

 77回目の終戦記念日ということで、千鳥ヶ淵戦没者墓苑について簡単に紹介させて頂きます――。






 無名戦士の墓


 太平洋戦争では広範な地域で戦闘が展開され、海外地域の戦場において多くの日本人兵士や一般市民が亡くなりました。





 その数は、軍人・軍属で約210万人、戦火に巻き込まれて死亡した一般邦人が約30万人で、合わせて約240万人といわれています。





 戦後、政府と民間団体が海外で収集した引き取り手のない遺骨は厚生省が保管していましたが、無名の遺骨は増え続け、収納施設が必要となりました。





 靖国神社側は、同神社と無関係の納骨施設ができると神社の衰退に繋がると反対しましたが、1959年3月に無宗教の墓苑が建設される運びとなりました。





 遺骨は、六角堂の中央に置かれた胸棺の下の地下納骨室および、1991年3月及び、2000年3月に増設された六角堂正面の地下納骨室に安置されています。

 (2013年5月27日現在、35万8千2百60柱)






 戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑


 旧ソ連による戦後強制抑留、終戦直後の混乱した状況下における外地からの引揚げによって、命を落とした人々を追悼する慰霊碑。




 
 太平洋戦争終結後の悲劇の歴史を後世に継承することにより、永遠の平和を祈念しています。

 



 慰霊碑は、六角堂への入り口を入らずに左に歩いていくと、その先にあります。場所を事前に知っていないと見落としてしまうので注意。





【平和記念碑】

 終戦後、外地から祖国に引揚げてきた人々は約320万人にも及びました。

 しかし、終戦の混乱による心労と疲労困憊の極限状態にあった20万人あまりの人々が引揚げの途中で命を落としました。





 これら引揚者の過酷な体験を記憶し、後世に伝えるとともに、犠牲となった人々への哀悼の意と恒久の平和を祈念して建立されました。





【追悼慰霊碑】

 旧ソ連は終戦後、約57万5千人もの軍人軍属および民間の日本人をシベリアや中央アジアなどに強制抑留し、鉄道建設や森林伐採などの過酷な重労働に従事させました。





 1日の配給がパン1個とスープ1皿のみという食生活で栄養失調に陥り、マイナス50度にもなる極寒で劣悪な環境下で疲弊し、約5万5千人が命を落としました。





 この悲惨な事実を風化させずに後世に伝えるとともに、犠牲となった人々への哀悼の意と恒久の平和を祈念して建立されました。





東京都千代田区三番町2
 ※半蔵門線「九段下駅」2番出口より徒歩9分




 編集後記


 この墓苑には、35万人もの名も無き戦没者の遺骨が納められています。

 しかし、靖国神社のすぐ近くにあるにも関わらず、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れる人の数はまばらで、閑散としています。

 愛する人たちを祖国に残したまま、見ず知らずの場所で人知れず命を落とすのはさぞ無念だったことでしょう。

 現在の平和な世の中は、祖国のために戦った戦没者の屍の上に成り立っているのです――。


【記事引用】「国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑」 「Wikipedia


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