生木が裂ける音がして、街中のガラスが一瞬にして割れて、欠片 (かけら) が僕の目の前に降ってきた。
妹のオモチャの真珠の首飾りの糸が切れてガラス玉の粒が散乱して畳の上を転がっていったとき、僕はあわてふためいて追いかけた。
いたずらしていて突然切れた。あのときの口の中に広がった苦味がまた同じように広がった。
尾崎が死んだ。
僕は何かがあいつの生命の糸を切ったような気がした。日常が数珠つなぎになっていて、僕らの日常は別の糸にへばりついていた。
そして何かがあいつの糸を切ってしまった。
バラバラになって転がる彼の時間の切れ端を、大急ぎでかき集める。それでも幾つもこぼれてしまう。
あいつは僕の中でひとつにならない。涙でにじむ。ポタポタとあいつの欠片に僕のしみったれた感傷が降りかかる。
叫びたかった。
尾崎、帰ってきてくれ。どこへ行ったというのか。誰か元に戻してくれ。誰か元通りに、あいつをつなぎあわせてくれ。
僕は人が死んで、生まれて初めて号泣した。
五分間ぐらいだったと思う。報せを聞いたのは自宅のリビングルームでだった。
会社の広報からで、事務的な表現だったけれど、僕は判決を言い渡されているみたいに、直立不動で受話器を握りしめていた。
そして受話器を置いてから、ひざまずいて泣いた。床にひれ伏して泣いた。嘘じゃないなと思った。
詳しいことは分からない。でも尾崎が死んだことは間違いないと確信した。
ほら、ステージであいつが二階席に向かって、悲しそうに叫ぶ声があるよね。その遠吠えみたいな声が遥か彼方から響いてくる気がした。
三年前に父親が目の前で息をひきとったときにだって僕は泣かなかった。まるで他人ごとのようだった。
でも今度は本当に信じられないほど、身体が震えて鳴咽が止まらなかった。
会社に出て行くとデスクの電話が鳴りっぱなしで、尾崎に関する問い合わせが、ひっきりなしに続いた。
「詳細は不明ですが亡くなったのは事実です」。僕は冷静に対応した。土曜日の午後で会社には誰もいなかった。
広報の係からプロフィールをまとめておいてくれと頼まれて、急いで資料をもとに書き上げた。書きながら、また涙がこぼれた。
感傷的になっている自分を諌 (いさ) めるように、呼び出し音が増大していく。そして僕は続々集まるスタッフの顔を見て、お互いに悲嘆と驚愕の表情を突き合わせるのが嫌で外に出た。
まだデビューする前に、二人で歩いた外堀沿いの並木道を一人で歩いてみた。
四月にしては暑い日だった。午後の陽差しが長いビルの影を作り、水面は夏の予感をはらんで鈍く輝いていた。
耳を澄ませて、目を凝らして歩いた。それでも尾崎の曲の一節を思い出せないでいた。一度に鳴り出してしまったかのように、頭の中では膨大なノイズが渦巻いて、頭がくらくらした。
人の死をこれほど身近に感じたことなどない。
彼の生き方の勢いが強すぎて、僕の心はまるで薄絹のようにひらひらとはためいて、それを押さえるのに一生懸命になっているうちに、彼は遠くへ消えてしまった。
スピードが速すぎる。
彼が十六歳で僕が二十九歳のときに知り合い、十年間ずっと彼の精神のそばにいた気がする。
彼の精神は恐ろしく孤独だった。彼はそのことをひどく嫌い、そしてまた愛していた。誰も彼の精神と絡み合うことはできなかった。
彼の歌はいつも叫びだった。ずっと向こうから全身の力をこめて叫んでいた。だからいつも心に届いた。
「尾崎はきっと生まれたときに四十歳だったんだよ。どう考えても年上に見える」こんな冗談を何度も言った。
それは彼が物知りだったり、落ち着いていたり、大人っぽくしていたからではなく、彼の精神が孤独に鍛えられて強固になった印象が、僕にそう思わせたからだ。
彼の諦観はある意味で老人じみていた。そこが僕を惑わせた。あんな男と二度と会うことはないだろう。
彼と約束した『幻の少年』をいつか完成させることはできるのだろうか。『幻の少年』とは彼が見たもう一人の自分だ。そしてそれはもう一人の僕でもある。
自己を見つめて、自己を知り、そして自立すること――。
それが彼の残していった、たったひとつの巨大な隕石のような重さを持った宿題である。
須藤晃
【記事引用】 「尾崎豊 覚え書き / 小学館文庫」