●知覧特攻平和会館
鹿児島県南九州市知覧町郡にある特攻隊員の遺品や遺書、関係資料を展示している「知覧特攻平和会館」について紹介します――。
●特攻隊の生きた証
太平洋戦争末期に編成された特別攻撃隊に関する資料の展示施設。
写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されており、そのほとんどは元特攻隊員で初代館長の板津忠正氏が集めたもの。
【遺影】

【第52振武隊】

【出撃前のひととき】

【出撃を翌日に控えた特攻隊員】

【出撃前の腹ごしらえ】

【絶筆/最期の便り】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆/遺書】

【遺書】

【遺書】

【遺書】

【遺書】

【不時着して大破したゼロ戦】

●編集後期
知覧特攻平和会館を訪れるきっかけになったのは、小説『永遠のゼロ』。
この本を読んだあと、特攻隊について色々と調べているうちに鹿児島に特攻隊の遺書や遺品を展示した場所があることを知り、一念発起して来館。
そして、特攻隊のほとんどが学徒兵で、わずか1年半ほどの訓練で出撃を命じられ、4000人近い若者が海に散ったことを知った。
来館前は軍の洗脳で自己喪失に陥り、国を過剰に崇拝する内容の遺書ばかりだと思っていたけど、個性的で人間味溢れるものがたくさんあって驚いた。
それと同時にすごい親近感が沸いて、特攻隊員がまるで自分の友達であるかのような印象をもった。
なので、“人生二十年”と題された遺書の「散歩に行く様な、遠足に行く様な気分なり。皆元気で、あと3、4時間で死ぬとは思えない」というくだりに、戦争というものの悲惨さや無情さを感じた。
また、館内に展示されている遺書や絶筆を「もし、自分が同じ立場に立たされたら」ということを考えながら眺めると、なんともやりきれない気持ちになった。

特攻隊員は、知覧の飛行場を飛び立った後、左手に見える開聞岳を日本の象徴・富士山に見立て「祖国への別れの挨拶」の意味を込めて、山が見えなくなるまで敬礼していたという。
館内は撮影禁止だけど、鹿児島中央駅からバスで1時間半もかかる山奥にあってなかなか来れない人も多いと思うので、雰囲気だけでも伝えられたらと思い、紹介させて頂きました。
ただ、ここに載せたものは館内の展示物のほんの一部で、直筆の遺書を肉眼で見ることでしか感じられないものがたくさんあります。
どこにでもいるような普通の少年たちが、自らの命を賭けて、今私たちが暮らしている国を守ろうとした命の息吹を感じたい方は、ぜひ足を運んでみて下さい――。
【記事/画像引用】 「知覧特攻平和記念館」 「Wikipedia」