Quantcast
Channel: MKB2025
Viewing all articles
Browse latest Browse all 510

ウルトラマンゆかりの地 / 祖師ヶ谷大蔵

$
0
0


 ウルトラマンゆかりの地 / 祖師ヶ谷大蔵

 
 小田急線「祖師谷大蔵駅」。  駅周辺にはかつて、円谷プロダクションが本社を構え、ウルトラマンの撮影所だった東宝ビルトがあり、“特撮の神様”円谷英二も住んでいました。

 栄スタジオでマグマ大使やマイティジャックの特撮シーン、国際放映ではウルトラマンAやマイティジャックの本編の撮影が行われるなど、まさに“特撮の街”でした。

 昨年のウルトラマン生誕55周年、映画「シン・ウルトラマン」の公開を控え、盛り上がりを見せるウルトラマンのゆかりの場所を紹介します――。





目次  

祖師ヶ谷大蔵駅構内

祖師谷大蔵駅周辺

ウルトラマン商店街

円谷プロダクション旧本社(砧社屋)跡

旧増田屋食堂

東宝ビルト(旧東京美術センター)跡

玉蘭

東宝スタジオ(旧東宝撮影所)




 祖師ヶ谷大蔵駅構内
 ホームの階段横の壁には、「ようこそウルトラな街 祖師ヶ谷大蔵駅へ!」というメッセージが描かれています。  また、電車接近時の音楽が上りはウルトラマン、下りはウルトラセブンになっています。     【ウルトラマンの柱】  駅構内の改札前にある柱には、歴代のウルトラ戦士たちが描かれています。  




          

 祖師谷大蔵駅周辺


【ウルトラマンシンボル像】

 祖師ヶ谷大蔵駅前の広場には、ウルトラマンのシンボル像が立っています。昨年建立15周年を迎え、今春に場所が駅出入口近くに移動しました。







 シンボル像の足元には、「ウルトラまちづくりの会」によるウルトラマンの歌のプレートが設置されています。



      

【ウルトラマン交番】

 ウルトラマンシンボル像がある広場のすぐ横には、ウルトラマンの目をモチーフとした窓の祖師谷大蔵交番があります。





【ウルトラマン案内板】

 祖師ヶ谷大蔵駅前にある周辺案内図は、ウルトラマンをモチーフにしたものになっています。


 ウルトラマンがスペシウム光線を発射している案内板は、祖師谷大蔵駅前と「祖師谷大蔵駅」バス停前の2カ所に設置されています。





 「祖師ヶ谷大蔵駅」バス停付近にある案内板裏の光線部分には、ウルトラ作品のオープニングのシルエットが描かれています。





【デザインマンホール】

 祖師ヶ谷大蔵駅周辺には、5種類のウルトラシリーズのデザインマンホールがが設置されています。





【デザインポール】  改札正面の高架下にある車止め用のポールの天面に、ウルトラマン、ウルトラセブン、ガラモンの装飾が施されています。

 

【ウルトラマンモニュメントサイン】  高架下を南側に抜けてすぐの所に、ウルトラマンをモチーフにしたモニュメントサインが設置されています。  裏にはカラータイマー風のボタンがあり、押すとウルトラマンのテーマソングが流れます。     

 ウルトラマン商店街
 世田谷区の「世田谷売り込み隊」の働きかけと円谷プロの協力によって、2005年4月に祖師谷大蔵駅前に誕生した商店街。

 ウルトラマンをモチーフにした街灯や、ウルトラマン、ゾフィー、帰ってきたウルトラマンが飛ぶアーチなどが設置されています。

 商店街加盟店制作のウルトラマンのオリジナルグッズ&フードも購入できます。
 




 祖師谷昇進会商店街

 祖師ヶ谷大蔵駅の西に延びる商店街。通称「ウルトラ・ウェスト・ストリート」。

 ウルトラマンタロウをモチーフとした街灯にカネゴンのフラッグが掲げられており、商店街の西端にはゾフィーのアーチが設置されています。

 また、ウルトラマン公式ショップや円谷英二監督の自宅跡、AZ跡などがあり、カネゴン像も建立されています。





 なお、映画「シン・ウルトラマン」の公開を控え、現在は商店街の名前が“シン・ウルトラマン商店街”に、フラッグはシン・ウルトラマンに変わっています。





【ウルトラマンタロウの街灯】

 タロウの特徴的な目の形をした照明の後ろに、左右のツノを模した金属板がついています。


     



【ウルトラマン川柳】

 街灯の柱には「新型コロナウィルス感染拡大3密防止啓もう川柳」が貼られており、ウルトラマンにちなんだ川柳もあります。





 街灯の柱に設置されているカラータイマーをモチーフとしたガラスケースの中には、ウルトラマン作品の写真が貼られています。






【Cafe Melogy】

 ウルトラマン公式グッズの販売もしている喫茶店「Cafe Melody」。平日のみ、数量限定でカスタードクリーム入りのウルトラパンを販売しています。






【ウルトラマンクッキー】

 ニシキヤ洋菓子店のレジ前にてウルトラマンクッキー(330円)を販売。裏がホワイトチョコでコーティングされ、生地も柔らかく、優しい味と食感です。






【円谷英二邸跡】

 “特撮の神様”円谷英二の自宅があった場所で、現在は駐車場になっています。

 1937年12月27日に京都からこの地に引っ越しました。1966年には長男の一氏も祖師谷に引っ越し、子供たちは撮影所に通って胸を熱くさせていました。





 戦時中の戦意高揚映画の製作などで終戦後にGHQから公職追放の指定を受け、東宝を依願退職した英二氏は、1948年に自宅の庭に「特殊映画研究所」を設立。

 研究所は1950年に東宝撮影所内に移転しましたが、1956年に自宅敷地内に手間や時間のかかる合成やコマ撮りなどを行う「円谷特殊技術研究所」を新設。

 これが、円谷プロダクションの前身となりました。


 

 円谷特技研究所は平屋のプレハブで、英二邸の正門を入って左側、円谷昌弘邸があった場所に建っていました。

 英二氏邸が研究所の事務所になっており、玄関を上がると若者でいっぱいで、「ウルトラQが生まれてくるにふさわしいホットな雰囲気だった」といいます。

 そして、1963年4月12日に研究所を法人化し、「円谷特技プロダクション」が設立されました。
 




 英二氏は1954年に『ゴジラ』が大ヒットして広く名が知られるようになるまでは、東宝撮影所に歩いて通っていたそうです。



【円谷特撮レジェンド誕生地】

 円谷英二邸は、円谷特撮作品で活躍したレジェンドたちの誕生地でもありました。

 1948年半ばに有川貞昌、1958年からに1960年にかけて当時大学生だった中野稔佐川和夫が英二氏邸を訪れて弟子入り。

 また、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンなどの企画立案と脚本を手掛けた金城哲夫も1960年の夏に来訪して、弟子入りを認められました。




 円谷研究所に出入りするようになった彼らは、特撮技術者や脚本家として成長し、後世に残る作品を生み出すことになります。

 なお、金城氏が円谷プロを退社し、1969年3月に沖縄に帰郷した際の送別会もここで行われました。
 ”特撮の神様”とまで呼ばれ、日本の宝ともいえる人物が住んでいた場所に記念碑も何も無いのは、寂しい限りです。


【円谷一逝去の地】

 また、英二氏の死後、円谷プロの社長に就任した円谷一氏は1973年2月9日の朝5時頃、寝室で倒れ、搬送された隣の幸野病院で亡くなっています。

 盟友だった金城氏は通夜の日、円谷家の庭のテントに呆然と座りつくし、一さんの遺影の前で葬儀の翌々日まで泣き崩れていたそうです。






【AZ(エーゼット)跡】  円谷プロの社員の溜まり場だった喫茶店「AZ」があった場所。

 小さなカウンターとボックス席が3、4つの喫茶店だったそうで、現在は「キッチンマカベ」というレストランになっています。




 常連だった金城哲夫、中野稔高野宏一佐川和夫らは、コーヒーと紅茶では我慢できず、ビールやウィスキーを置かせていたとか (笑)



【カネゴン像】

 祖師谷ふれあいセンター前のベンチにカネゴンが座っています。2019年2月3日に設置されました。






 カネゴン像の設置日に駅前広場でお披露目イベントが開催され、商店街に現れたカネゴンの周りは人だかりになり、大人気だったそうです。






【ゾフィーアーチ】

 カネゴン像から歩いてすぐの所にゾフィーのアーチが設置されています。




     


【砧図書館】

 ゾフィーアーチから徒歩1分ほどの所にある世田谷区立の図書館。

 ウルトラ作品の地元だけあって、ウルトラマンや円谷英二監督、特撮に関する本専用のウルトラマンコーナーがあり、レア本が揃っています。






 祖師谷商店街

 祖師ヶ谷大蔵駅の北に伸びる商店街。通称「ウルトラ・ノース・ストリート」。

 「やまと屋」でウルトラまんじゅう、「高橋茶舗」でウルトラマンのバッチと金太郎飴が購入でき、商店街の北端にウルトラマンアーチが設置されています。

 円谷スタッフご用達の「旅館はなぶさ」や、『マグマ大使』や『マイティジャック』の特撮撮影が行われていた「栄スタジオ」もありました。





 商店街の前半はウルトラマンタロウ、後半はウルトラマン、所々にウルトラセブンをモチーフにした街灯が設置されています。


      

     



【ウルトラまんじゅう】

 商店街の入り口付近左手にある「やまと屋」には、お店を入って左側にウルトラまんじゅう(170円)が売られています。

 カスタード味とチョコ味の2種類で、表面にウルトラマンの焼き印が押されています。






【ウルトラマン金太郎あめ / 缶バッジ】

 また、やまと屋の向かい側付近にある「高橋茶舗」のレジ前にて、ウルトラマン商店街限定のウルトラマン缶バッジを販売。

 また、秋冬にはウルトラマンのキャクターが描かれたウルトラマン金太郎飴が登場します。






【旅館はなぶさ跡】

 「さか本そば店」の裏にあった円谷プロご用達の旅館。

 金城哲夫をはじめとした円谷プロ文芸部の脚本家や円谷作品の監督が企画立案や脚本書きなどによく利用していました。

 下記画像(1963年の祖師谷商店街)中央の林に囲まれているのが「はなぶさ」の建屋です。



[出典 goo地図(古地図)]




 ウルトラマン第1話「ウルトラ作戦第1号」の最終脚本は、金城哲夫が1966年5月11日から13日にかけて、はなぶさに泊まり込んで書き上げました。

 ウルトラマンの企画書作りでは、1965年の夏から秋にかけて山田正弘と金城氏が3日、4日と連泊することもあったとか。

 1966年3月16日のウルトラマンのクランクイン時には午後3時から夜9時まで、はなぶさで飯島組の打ち合わせが行われています。



[出典 ウルトラマン 1996+ Special Edition / 金田益実・編


 ウルトラマンの企画作りが行われ、第1話の脚本が書かれ、クランクイン当日に打ち合わせが行われたこの場所は、“ウルトラマン創世の地”といえるでしょう。

 金城氏や上原氏がはなぶさに籠って脚本書きをする時、夜は大抵「焼き鳥たかはし」で焼き鳥を食べていたそうです。

 こちらの店には、中野稔氏を始めとした円谷プロのスタッフも仕事終わりによく飲みに来ていました。


【栄スタジオ跡】

 祖師谷団地の北側に「栄スタジオ」というトタン張りの貸しスタジオがありました。

 第一スタジオが観音院、第二スタジオが保坂工務店付近にあり、『マグマ大使』や『マイティジャック』などの特撮撮影が行われていました。




 マイティジャックは当初、円谷英二監督が第1話の特技監督を担当する予定でしたが、東宝の作品がクランクインしていたため実現しませんでした。

 最初の特撮企画段階から全てに関わった佐川和夫氏は「それだけ円谷英二が力を入れた作品だった」と話しています。

 マイティジャックの特撮撮影は第二スタジオで行われており、仮設の床の下が浅いプールになっていて、そこで海上シーンの撮影をしていたそうです。



[出典 Facebook | 大石一雄]


 こちらのお写真は、スタッフのご遺族の方から提供して頂いた1968年12月13日に第二スタジオ前で撮影された『戦え!マイティジャック』の集合写真。

 前日に円谷プロが大幅人員削減を発表しており、スタッフの多くは“これが最後”との意識があったのかもしれないとのこと。



[出典 Twitter | @fukafuka_9]


【深田達郎氏】

 左から2番目が金城哲夫氏で、その右上が円谷プロの初期作品群で美術を務めていた深田達郎氏。

 1963年の「(株)円谷特技プロダクション」の設立に大学生で参加し、その後、日本中に怪獣ブームを巻き起こした国内初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』で美術助手。

 『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』『怪奇大作戦』では美術を担当しました。 
     

 バンダイチャンネルで『マイティジャック』の第一話が無料配信されています。興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。



【ウルトラマンのソフビ人形】

 商店街を入って徒歩数分のところにウルトラマンのソフビ人形を飾っているお店が2店舗あるので、探してみるのもいいかもしれません。




     



【木梨サイクル】

 とんねるずの木梨憲武の父親の作三さんが経営している1961年創業の「木梨サイクル」もあり、2階にはカフェも併設されています。








【ウルトラマンアーチ】

 商店街の北端にある交差点付近に、ウルトラマンのアーチが設置されています。


      






 祖師谷みなみ商店街
 祖師ヶ谷大蔵駅の南に伸びる商店街。通称「ウルトラ・サウス・ストリート」。

 円谷監督が自転車で撮影所に通った道でもあり、商店街の先に円谷プロ旧本社と東宝ビルトがありました。商店街の南端のアーチは、ウルトラマンジャック。

 国際放映では、マイティジャックの本編やウルトラマンAの撮影が行われたそうです。

 




【バルタン星人の街灯】

 商店街には、バルタン星人をモチーフにした街灯が6基設置されており、バルタン星人のフラッグが数多く設置されています。


      


 柱に設置されている円形の窓の真ん中には、ゴモラ、ガラモン、ジェットビートル、ゼットン、シーボーズ、ダダのミニチュアが飾られています。






 日大商学部砧キャンパスの近くにもバルタン星人の街灯があり、そこにはウルトラマンとバルタン星人がいます。




 
【国際放映(現・東京メディアシティ)】

 祖師谷みなみ商店街の東側にある撮影スタジオで、現在の東宝の前身である東宝映画が1939年に「東宝映画第二撮影所」として開設しました。

 現在は、東宝が最大株主である関係会社「国際放映」が所有し、東京メディアシティとして稼働しています。





 こちらでは、『マイティジャック』の本編の撮影が行われていました。

 『ウルトラマンA』で主人公の北斗星司を演じた高峰圭二氏によると、タックアローやファルコンのコクピットシーンの撮影もここで行っていたそうです。

 日大商学部キャンパスの東門の前にあった「タカノ」というコーヒーショップが撮影スタッフのご用達だったとか。


     



【街かどウルトラマン】

 CRAZY Pantsというジーンズショップの窓には、ウルトラマンの写真や指人形が飾られています。





 小島米店さんの店頭では、ウルトラマンタロウの商店街限定エコバッグが売られていました。


     



【ウルトラマンジャックアーチ】
 商店街の端に設置されている『帰ってきたウルトラマン』のアーチ。


     





 円谷プロダクション旧本社(砧社屋)跡


 円谷プロダクションがかつて本社を構えていた場所。





 1956年に円谷英二氏が祖師ヶ谷の自宅に円谷特技研究所を設立したのが始まりで、1963年4月12日に法人化され、「円谷特技プロダクション」を設立。

 1964年3月30日には、東宝が衣装部(京都衣装)の倉庫を円谷特技プロダクションに提供。そして、1968年12月に「円谷プロダクション」に社名が変更されました。





 それ以降、2008年2月に閉鎖されるまで、この場所でウルトラマンを始めとした様々な作品を生み出し、世界中の子供たちに愛と夢を与え続けてきました。

 また、倉庫内に怪獣のスーツが所狭しと保管されていたため、”怪獣倉庫”とも呼ばれ、ウルトラファンの聖地として親しまれていました。





 しかし、2008年2月に閉鎖されることになり、翌年4月に解体されました。

 砧社屋が閉鎖される月に、これまでの感謝を込めた宴が催され、特撮を愛し、ウルトラマンとともに夢を見た人々が集まり、別れを惜しみました――。



・円谷プロダクション旧本社跡
 東京都世田谷区砧7丁目4


 旧増田屋食堂


 ウルトラマンの撮影スタッフのロケ弁を作っていた食堂で、現在は「成城フーズますだや」として営業しています。

 入り口に大きな赤ちょうちんがぶら下がっていたため、増田屋食堂の当時のロケ弁は「赤チン弁当」と呼ばれていました。





 当時のスタッフいわく低予算だったため、おかずがいつも同じで、朝昼晩、深夜食とも同じロケ弁を食べさせられて、うんざりしていたとか(笑)

 ウルトラQの頃は更に予算が無く、毎食、具の無い塩味のおにぎりで、沢庵が数切れついているだけでした。

 ちなみに、ウルトラマン第13話「オイルSOS」の冒頭に出てくる酔っ払いが持っているのが赤チン弁当だそうです。





 「成城フーズますだや」は平日11:00~14:00のみの営業で、中華、洋食、和食のメニューが揃っており、連日常連さんで賑わっています。



 東宝ビルト(旧東京美術センター)跡  1962年10月に東宝撮影所の美術工房・東京美術センターとして誕生した撮影所「東宝ビルト」があった場所。

 建屋は全て解体され、現在は集合住宅になっています。



  この場所で幾多の怪獣たちがウルトラマンと戦い、数多くの戦闘機が発進し、たくさんの隊員たちが指令室に集っていました。  

 しかし、1964年秋の『ウルトラQ』の撮影開始からウルトラシリーズを生み出してきた東宝ビルトは、拠点合理化のため2008年2月をもって閉鎖。

 2007年12月2日の『ウルトラマンメビウス外伝・アーマードダークネス』の撮影が、東宝ビルトにおけるウルトラマン作品最後の撮影となりました。





・東宝ビルト跡地
 東京都世田谷区大蔵5丁目20‐32



 玉蘭
 東宝ビルト跡から徒歩5分くらいの所にある「玉蘭」という台湾料理屋に、当時の東宝ビルトのスタッフがよく食べに行っていたそうです。






 東宝スタジオ(旧・東宝撮影所)  1937(昭和12)年8月26日、写真化学研究所P.C.L.映画製作所、東宝映画配給、J.O.スタヂオが合併し、東宝映画が設立。

 これに伴い、写真化学研究所とP.C.L.映画製作所が東宝東京撮影所と改称されました。

 現在は撮影スタジオになっており、2004年から着手したスタジオ改造計画により大幅リニューアルされ、撮影スタジオとしては日本一の広さを誇っています。





 ウルトラマンのスーツアクター・古谷敏氏は、東宝ビルトでの撮影が終わると、毎日、東宝撮影所の演技課に定期報告に行っていたそうです。





 昔は成城六間通りまで敷地が広がっていましたが、現在は南側の一部が道路で区切られ、サミットストアやヤマト運輸の敷地になっています。






【ウルトラマン】

 東宝撮影所の南側に本館と呼ばれる建物が存在し、ウルトラマン第28話「人間標本5・6」の屋上のシーンが撮影されました。

 『ウルトラQ』や『帰ってきたウルトラマン』、『ウルトラマンエース』などの撮影でも使用されているそうです。




 ウルトラマン第18話「遊星から来た兄弟」で科特隊がザラブ星人と遭遇するシーンは、撮影所の北側にあったオープンセットで撮影が行われました。





 1963年の東宝撮影所の航空写真を見ると、撮影所の北側にかなり広いオープンスペースがあったことがわかります。



         

【ウルトラセブン】
 ウルトラセブン第15話「ウルトラ警備隊西へ」(後編)の神戸港での格闘シーンはNo.1ステージで撮影されたそうです。

 また、第28話「700キロを突っ走れ!」の冒頭で、ダンとアンヌが映画を観ているシーンは、東宝撮影所の試写室での撮影でした。





 2004年から開始された東宝スタジオ改造計画に伴い、P.C.L.映画製作所時代から使われてきたNo1、2ステージが2010年に解体されることに。

 建屋との別れを偲ぶため、同年5月30日に東宝の俳優・スタッフOBからなる「東宝・砧同友会」が開催されました。



[(左) Google Earth 2010年 / (右) Google Map 2021年」



【キヌタ・ラボラトリー】

 円谷英二は1937年に京都から東宝撮影所に移り、特撮の発展を願う森岩雄の要請により創設された特撮の技術部門「特殊技術課」の初代課長に就任しました。

 ゴジラ壁画の建屋付近にウルトラマンやセブンの主題歌にもある「キヌタ・ラボラトリー」がかつて存在し、2階に特殊技術課の課長室があったそうです。






    


・東宝スタジオ
 東京都世田谷区成城1丁目4



【記事/画像引用】「ウルトラマン商店街」「Mapio.net
         「ありがとう夢工房 円谷プロ砧社屋 ~ウルトラマンと共に歩んだ40年~
         「ありがとう東宝ビルト ~ウルトラマンと共に歩んだ40年~
         「@Nakaken_UPAL | Twitter」「@momk12 | Twitter
         「コバリョウの気ままブログ」「Analo-Blog」「円谷英二
         「ウルトラマンになった男」「ウルトラマンを創った男―金城哲夫の生涯
         「特撮円谷組 ゴジラと、東宝特撮にかけた青春」「写真集 特技監督・円谷英二
         「円谷一 ウルトラQと”テレビ映画”の時代」「ウルトラシリーズロケ地探訪
         「ウルトラマン創世記」「日本特撮技術大全」「ウルトラマンが泣いている
         「世田谷に花開いた映画・映像文化」「素晴らしき特撮人生
         「現代の主役 ウルトラQのおやじ」「ウルトラQの誕生


Viewing all articles
Browse latest Browse all 510

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>