【没後30年】「尾崎豊 追悼式 / 1992.4.30」
尾崎豊追悼式 今年、「尾崎豊没後30年」を迎えました。 1992年4月25日に突然この世を去ってから5日後の4月30日に、文京区にある護国寺で執り行われた尾崎豊の追悼式。 その追悼式の様子が描かれた「Say good-by to the sky way」「尾崎豊 夢のかたち」の2冊を参考にして、当日の様子をまとめてみました――。 肌寒い朝 1992年4月30日木曜日。...
View Article【没後30年】星が落ちた日 / 須藤晃
生木が裂ける音がして、街中のガラスが一瞬にして割れて、欠片(かけら)が僕の目の前に降ってきた。 妹のオモチャの真珠の首飾りの糸が切れてガラス玉の粒が散乱して畳の上を転がっていったとき、僕はあわてふためいて追いかけた。 いたずらしていて突然切れた。あのときの口の中に広がった苦味がまた同じように広がった。 尾崎が死んだ。...
View Article【没後30年】「尾崎豊の歌碑」
尾崎豊の歌碑 渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル)前のテラス。 ここには、尾崎豊が祈りを捧げている姿を模したレリーフと、『十七歳の地図』の歌碑からなるモニュメントが在ります。 青山学院高等部時代の尾崎が下校時によくここで夕日を眺めていたことに因み、三回忌にあたる1994年4月25日に建立。...
View Article【没後30年】尾崎豊 / 1965.11.29-1992.4.25
尾崎豊 1965年11月29日~1992年4月25日 没後30年の月日が流れても色褪せない不世出のアーチスト・尾崎豊。 十代にして3枚ものオリジナル・アルバムをリリースし、後世に残る数々の名曲を生み出したのは脅威という他ありません。 モデル並みの容姿と天性の歌声、尋常ではない振れ幅の喜怒哀楽の表現力、さらに音楽的才能だけでなく、小説や絵画の才能も兼ね備えていた尾崎。...
View Article「ふたりのウルトラマン」
ふたりのウルトラマン 沖縄本土復帰50年 ドキュメンタリードラマ 脚本家・金城哲夫と上原正三の生涯に迫る人間ドラマ。 円谷プロの企画文芸室長として、国民的ヒーロー番組「ウルトラマン」の企画立案とメインライターを務めた金城と、金城の背中を追いながら成長していく上原正三。 そして、本土復帰前後の沖縄の光と影、金城の夢と挫折を描く――。 国民的ヒーロー誕生の舞台裏...
View Article『シン・ウルトラマン×横浜・みなとみらい』
シン・ウルトラマン×横浜・みなとみらい 横浜とみなとみらいが、5⽉13⽇(⾦)に劇場公開予定の話題作映画『シン・ウルトラマン』とコラボレーション。 4施設6カ所を巡るスタンプラリーの他に、10mの巨大ウルトラマン、怪獣のジオラマ、ウルトラマンのグッズショップも登場。 遠方にお住まいで観に来られない方達のために、会場の様子を紹介します――。 ランドマークプラザ...
View Articleウルトラマンゆかりの地 / 祖師ヶ谷大蔵
ウルトラマンゆかりの地 / 祖師ヶ谷大蔵 小田急線「祖師谷大蔵駅」。 駅周辺にはかつて、円谷プロダクションが本社を構え、ウルトラマンの撮影所だった東宝ビルトがあり、“特撮の神様”円谷英二も住んでいました。 栄スタジオでマグマ大使やマイティジャックの特撮シーン、国際放映ではウルトラマンAやマイティジャックの本編の撮影が行われるなど、まさに“特撮の街”でした。...
View Article「ウルトラマン」伝説の全39話<2>
ウルトラマン再考<後篇> 1966年7月17日に本放送を開始した国民的特撮番組「ウルトラマン」。 特撮シーンの撮影遅れで制作スケジュールが切迫し、スタッフの疲労も限界を超えていたため、高視聴率だったにも関わらず39話で放送を終えました。 「シン・ウルトラマン」の映画公開を記念して、制作の裏話とともに全話 (20話から39話まで) を振り返ります――。目次 第20話「恐怖のルート87」...
View Article「ウルトラマン」伝説の全39話<1>
ウルトラマン再考<前篇> 1966年7月17日に本放送を開始した国民的特撮番組「ウルトラマン」。 特撮シーンの撮影遅れで制作スケジュールが切迫し、スタッフの疲労も限界を超えていたため、高視聴率だったにも関わらず39話で放送を終えました。 「シン・ウルトラマン」の映画公開を記念して、制作の裏話とともに全話 (まずは19話まで) を振り返ります――。目次 第1話「ウルトラ作戦第1号」...
View Article【ネタバレ有】『シン・ウルトラマン』補足情報
『シン・ウルトラマン』補足情報 2022年5月13日に公開になった映画『シン・ウルトラマン』。 作品をより深く楽しむために、『ウルトラQ』『ウルトラマン』を中心に補足情報を簡単にまとめてみました――。 ウルトラQ 『シン・ウルトラマン』の冒頭に登場する禍威獣は、『ウルトラQ』に登場した怪獣です。【ゴメス】...
View Articleウルトラマン<A・B・Cタイプ>
ウルトラマン / A・B・Cタイプ ウルトラマンのマスクとスーツは、全39話の中で2回変わっています。 なお、第1話~第13話がAタイプ、第14話~第29話がBタイプ、そして第30話~第39話までがCタイプと呼ばれています。 『シン・ウルトラマン』公開を記念して、簡単にまとめてみました――。 Aタイプ / 第1話~第13話[第9話「電光石火作戦」より]【マスク】...
View Article特撮のDNA / ウルトラマン GENEALOGY
特撮のDNA / ウルトラマン GENEALOGY 空想の世界をあたかも現実の風景のように映像に描き出す「特撮」。 日本独自の特撮文化を紹介する展覧会として2016年に始まった『特撮のDNA』は、これまでゴジラやガメラをテーマに開催。 そして、円谷英二没後50年の2020年、国民的特撮ヒーロー”ウルトラマン”が題材の『特撮のDNA』が開催されました。...
View Article庵野秀明セレクション「ウルトラマン」4K特別上映
庵野秀明セレクション「ウルトラマン」4K特別上映 現在大ヒット上映中の『シン・ウルトラマン』の企画・脚本を務めた庵野秀明。 彼がウルトラ作品の中で一番好きだという『ウルトラマン』から選りすぐった4エピソードを、映画館の大スクリーンかつ高精細の4K映像にて期間限定公開。 4つのエピソードについて、簡単に紹介させて頂きます――。目次 第18話「遊星から来た兄弟」 第26話「怪獣殿下...
View Articleウルトラマン・シャドウアート
ウルトラマン・シャドウアート ウルトラマンの主題歌の背景映像に表示される影絵 (シャドウアート)。 この怪獣のシャドウアートは、東宝撮影所の光学作画技師だった飯塚定雄氏が円谷英二監督に頼まれて描いたものです。 「庵野秀明セレクション『ウルトラマン』4K」の公開を記念して、影絵の謎に迫ります――。 第1話~第11話...
View Article「ウルトラマン」最終回再考
『ウルトラマン』最終回再考 1967年4月9日に放送されたウルトラマン最終回「さらばウルトラマン」。 宇宙恐竜ゼットンによってウルトラマンは倒されてしまいますが、命を2つ持ってきたゾフィーによって息を吹き返し、光の国に帰還しました。 本放送55周年を記念して、最終回の台本の変遷について簡単に紹介します――。 死ななければならない...
View Articleストリートファイター ~俺より強いやつらの世界展~
ストリートファイター ~俺より強いやつらの世界展~ 今年で35周年を迎えたカプコンの人気格闘ゲーム『ストリートファイター』。 その展覧会であるストリートファイター「俺より強いやつらの世界展」が2月10日から3月27日まで、渋谷の東京アニメセンターで開催されました。 今日から北九州市立美術館分館で開催されるということで、内容について紹介します――。 春麗とベガの立像...
View Article【本日深夜】ウルトラマン第1話・30話<ハイビジョン・デジタルリマスター>
ウルトラマン第1話・30話 ハイビジョン・デジタルリマスター 1966年7月17日に本放送を開始した国民的特撮番組『ウルトラマン』。 本日深夜から、第1話と第30話のハイビジョン・デジタルリマスター版が放送されるということで、制作の裏話とともに簡単に紹介します――。 目次 第1話「ウルトラ作戦第1号」 第30話「まぼろしの雪山」 ウルトラマンの歌 編集後記...
View Article「円谷特撮レジェンド誕生地」(祖師谷)
円谷特撮レジェンド誕生地 ウルトラマンを創った男たちの原点 祖師谷にあった円谷英二邸は、特撮を志す若者たちの駆け込み寺でもありました。 1948年半ばには後に東宝の二代目特技監督となる有川貞昌が、1958年から60年にかけては中野稔、佐川和夫、金城哲夫などが来訪。 撮影所や研究所で働きながら、円谷特撮に不可欠な人材として成長していきました――。...
View Article円谷英二邸跡と祖師谷-特撮の神様が住んだ場所-
円谷英二邸跡と祖師谷 小田急線「祖師ヶ谷大蔵駅」から程近い場所に住んでいた“特撮の神様”円谷英二。 ご住居は1999年末に解体されて現在は駐車場になっていますが、跡地碑など英二氏の生前の功績を顕彰するものはありません。 “祖師谷来臨85年”、“東宝創立90周年”を記念して、祖師谷時代の英二氏の歴史とのちに円谷作品を支える人材との出会いを振り返ります――。目次 祖師谷時代の幕開け...
View Article“特撮の神様”円谷英二と円谷プロダクション
円谷英二と円谷プロダクション 小田急線「祖師ヶ谷大蔵駅」の近くにあった円谷英二邸と円谷プロ社屋。 英二氏は1937年、36歳の時に東宝撮影所に転属になり、京都から祖師谷に転居。円谷プロを立ち上げて、後進の育成や特撮作品の制作に励みました。 本日は121回目の誕生日ということで、英二氏の半生を簡単に振り返りながら、ウルトラファンの聖地の誕生に迫ります――。目次 円谷英二の黎明期...
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