MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY
GLAY EXPO '99 SURVIVAL
1999年7月31日土曜日。快晴の幕張メッセ駐車場特設ステージ。
GLAYが単独アーチストによる有料コンサートで世界最大動員記録(当時)となる20万人のオーディエンスを集めたライブを開催。
前代未聞の規模に、NHKが夜7時のニュース番組のトップでライブの模様を紹介するなど、メディア各社が挙ってライブの模様を報道。
以後、GLAYとファンの間で7月31日は ” GLAY DAY (GLAYの日) ” と呼ばれ、毎年様々なイベントが行われるようになりました。
2024年6月8日(土)、9日(日)にベルーナドームで20万人ライブの再現ライブが行われるということでリバイバル投稿させて頂きますーー。
GLAYジャンボ
JALが20万人ライブのオフィシャルエアラインとなったことで、機体にGLAYがペイントされたジャンボジェット(GLAYジャンボ)が就航。
最初は札幌・函館と羽田を結ぶ路線のみでしたが、好評だったため夏休み終了後も延長し、9月15日まで日本各地の空港で就航することになりました。
乗客には紙コップやクリアファイル、ポストカードなどが配られ、機内ではGLAYのライブビデオが上映されました。
飛行場の屋上にはGLAYジャンボを一目見ようと、連日大勢の見物人が訪れていました。
夢の代償
「たくさんの大勢の前で、皆がいい笑顔で自分が作った歌を口ずさみながらっていうような。
そういった子供の頃からの夢を叶えるために何もかもをGLAYに捧げてきて、それが一つ完成した時に来る虚無感とか脱力感とか。
正直、今もどう生きていったらいいのか全然わからないような。これから何を想って生きていけばいいんだろうと。
“夢の代償”というのかな。そういうものを凄く感じてて」(TAKURO)

中学生の頃、ウッドストックを見て「いつか、一面の人の海の前でライブをしたい」という夢を抱いた琢朗少年。
その後、高校2年の時にGLAYを結成し、デモテープを作ったり函館のライブハウスでライブを行うなど、バンド活動を開始。
そして、高校卒業後に上京し、数年の暗黒時代を経て、YOSHIKIに見出されてメジャーデビュー。

それから僅か5年で子供の頃から抱いていた人生最大の夢を実現したことで、バンドとしての原動力を失ってしまったGLAY。
そんなバンドの危機を乗り越え、あの“伝説の夏”から四半世紀の月日が流れました――。
目次
GLAY EXPO MUSEUM '99 / 幕張メッセ国際展示場ホール2-3
20万人ライブ概要
- 開場:10:30 開演:16:30 終演:19:30
- 入場者数:20万人(単独アーチストによる有料コンサートで世界の音楽史史上最大動員)
- 総制作費:30億円
- 会場の大きさ:縦700m、横264m(東京ドーム約4個分)
- ステージの大きさ:全長145m、高さ40m
- 大型ビジョン:700インチ1台・400インチ2台(ステージ上)、11面の大型モニター(客席)
- 臨時シャトルバス:600本 JR臨時便:39本 海浜幕張駅駅員:150人(通常10人)
- 取材メディア:TV35番組、新聞15紙、雑誌50誌
- 気温:33.6℃
【ライブ告知】

【ライブ会場のしおり】

【臨時に運行されたシャトルバスのチケット】

20万人の大行列
【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列①】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列②】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列③】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列④】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列⑤】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列⑥】

【海浜幕張駅前からライブ会場まで続く20万人の大行列⑦】

20万人ライブ会場
【歩道橋の上から見たライブ会場】

【会場内風景①】

【会場内風景②】


【会場内風景④】

【照りつける太陽と照り返しの暑さにうんざり…】

【会場中央にGLAY登場 !!! 】

【近い!】

【ガンガン縦に暴れたいと思わねーか!(by JIRO) 】

【サバイバル】
【夕日が直撃!】

【I'm in Love】
【ラスト曲 BURST !!! 】
【デビュー曲パンクver (笑) 】
【20万人ライブ終演 !!!!!】


【セットリスト】
1. HAPPY SWING
2. 口唇
3. グロリアス
4. SHUTTER SPEEDSのテーマ
5. More than Love
6. サバイバル
7. 生きてく強さ
8. Yes, Summerdays
9. summer FM
10. INNOCENCE
11. Freeze My Love
12. HOWEVER
13. ここではない、どこかへ
14. LADY CLOSE
15. TWO BELL SILENCE
16. MISERY
17. 誘惑
18. COME ON!!
19. ACID HEAD
<アンコール1>
1. I'm yours
2. BE WITH YOU
3. I'm in Love
<アンコール2>
1. 彼女の“Modern…”
2. ビリビリクラッシュメン
3. BURST(~RAIN~BURST)
GLAY EXPO MUSEUM '99 / 幕張メッセ国際展示場ホール2-3
1999年7月30日と31日の2日間に渡って幕張メッセにて開催された展示館。GLAYの各メンバーがブースを設置し、趣向を凝らした展示でファンを楽しませました。
その他にも、デビュー前の手作りチケット・チラシなどのレアアイテムの展示や、GLAYとゆかりある雑誌・番組などもブースを出展。
あまりの大盛況ぶりに会場内は大渋滞となり、閉館間際まで大いに賑わいました。
【エアロボ “FRIED CHICHEN and BEER”】
【20万人ライブ告知バス】
【ステージ衣装①】
【ステージ衣装②】
【ステージセットの模型①】
【ステージセットの模型②】
【学生時代のメンバーの写真】
【あうん堂の前で記念撮影をするメンバーの写真】
【ドームライブで使用されたロボット】
【エアロボ "JIRO"】
【and more..】



エピローグ
【スポーツ報知】

【サンケイスポーツ】


【ARENA37℃ / 1999年9月号】



編集後記
1999年7月31日、ライブ当日の東京駅。
東京駅で降りて歩いていると、京葉線のホーム方向へ四方八方から集まってくる人の波があり得ない数に膨らんでいき、「なんだこれ!?」といきなり軽い衝撃を受ける。
さらに、京葉線がパンク状態になっているようで、警備員が拡声器を使って「幕張本郷駅からシャトルバスで会場入りして下さい!」とのアナウンスを繰り返していました。
しょうがないので、JR総武線で幕張本郷駅まで行き、そこから臨時のシャトルバスでライブ会場に向かうことに。

【人の多さに衝撃】
バスに揺られること数分で幕張メッセが目の前に見えてきて、メッセ前のバス停に泊まるために左折して視界が開けた瞬間――。
砂糖に群がるアリの如く、幕張メッセの周りにうごめく大勢のGLAYファンの姿が視界に飛び込んできて、今まで視認したことのない雑踏の人口密度と規模に衝撃を受ける。
その後、昼食やドリンクを買うために、海浜幕張駅近くのビル内のコンビニに立ち寄ったのが地獄の始まりでした。。

【灼熱地獄のサバイバル】
こちらの写真はシャトルバスを降りてコンビニに向かう途中で撮影したもので、歩道橋の階段部分に人がおらず、こちら側へは進入禁止になっていることがわかります。

そうとも知らず、相方と一緒に歩道橋に隣接しているコンビニで買い物を済ませた私。
コンビニで買った昼食を食べながら幕張メッセ内のEXPO館に行こうとしたら、会場内が人で溢れすぎて入場を打ち切っており、歩道橋から幕張メッセ側へは進入禁止に。。

どうやら、会場入りするには歩道橋の上に出来ている行列に並ばないといけないことがわかり、列を辿っていくと最後列は海浜幕張駅前。
すると案の定、炎天下の中、駅から幕張メッセの裏を通って会場まで続く道がGLAYファンで大渋滞となって遅々として進まず、まさに灼熱地獄状態。
照りつける日差しの熱さでもうろうとする意識の中、思わず「SURVIVAL 開演前が サバイバル」という一句が脳裏を過ぎりました・・・。
20万人ライブの開演前、1時間半以上かけて暑さで死にそうになりながら会場に辿り着いたGLAYファンたちの闘いがそこにはあったのです。
現地に行けなかった方が20万人ライブのDVDを観る際は、そのことを忘れないで頂けると、あの時の苦労が浮かばれます(笑)

【コーラの旨さに衝撃】
会場でもコンクリートからの照り返しが凄まじくて死にそうになり、開演までの間、会場で売っていた氷入りのビニール袋が心の救いに。
さらに、ライブ後半は飲み物が無くなって喉がカラカラになって、ちょっとした脱水状態に。
なので、終演後に飲んだ路上販売のコーラのひと口目が、この世のものとは思えないほどの凄まじい美味しさだったのが強烈に印象に残っています。
海浜幕張駅へ向かうファンのために歩行者天国となった車道を大勢のGLAYファンと一緒に歩いたのも、いい思い出になりました。

【凄まじい虚脱感】
そして、20万人ライブの終演後に訪れたEXPO館。
そこは、GLAY関連の展示物で溢れ、すれ違う人全てがGLAYファンで、しかも皆が満面の笑顔ですれ違っていくという、何とも言えない幸せな空間になっていました。
思わず、「ずっとここにいたい! 」と心の底から思って閉館まで居座ったおかげで帰宅途中で終電が無くなり、ライブに一緒に行った友人とカラオケ店で貫徹するはめに。。
20万人の想念が渦巻く会場で暴れすぎたため、家に帰って一眠りして起きた時の虚脱感が凄まじく、夕日が差し込む部屋で一人茫然としていたのを覚えています。
さらに、しばらく現実感が戻らず、精神的に社会復帰するのが大変でした――。

【出典】「Wikipedia」「GLAY EXPO '99 SURVIVAL LIVE IN MAKUHARI」
「GLAY25周年特集」「スポーツ報知/1999年8月1日(日)/24面」
「GLAYオフィシャルホームページ」
「BEST HITS! vol.2 熱写LIVE'99」「ARENA37℃ 1999年9月号」etc..