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「めがね岩」(釧路)


●めがね岩(釧路)

 釧路の東端、桂恋漁港の近くにあるメガネの形をした岩。

 岩の隙間から眺める夕日が密かな人気となっています。三津浦のメガネ岩、毘沙門のメガネ岩など、呼ばれ方は様々のようです。


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 こんなロマンチックな写真を撮ることもできます♪


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  【住所】釧路市桂恋72
  【アクセス】くしろバス昆布森線乗車(バス停「毘沙門」下車徒歩数分)



●編集後記

 釧路の夕日といえば、幣舞橋や細岡展望台からの眺望が有名ですが、めがね岩から夕日を観るのもアリかも。

 ただ、経年による風化でブリッジの部分が崩落してしまう恐れがあるとのことで、できれば補強工事などを行ってもらいたいものです。。


【画像引用】「中村誠司」「フォトグラ・くしろ
【記事引用】「これが三つ浦『メガネ岩だ』!


尾崎豊ゆかりの地【練馬】



●尾崎豊の原風景

 尾崎豊が幼少期を過ごした練馬。今年は没後25年ということで、練馬にある「尾崎豊ゆかりの場所」を紹介します――。


●都営住宅跡

【尾崎豊の生家】

 尾崎豊が幼少期を過ごした都営住宅があった場所。当時の区画がそのまま残されている。


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 尾崎豊の生家があったのはこの辺り。六畳二間の平屋で、健一さんが庭に作った池で泥遊びをするのが大好きだったという。


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 健一さんは、日曜大工で住宅の東側に隣接した風呂場も造り、南側には知り合いの大工に頼んで、本格的な四畳半の子供部屋の増築も行った。

 
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   <住所>
    東京都練馬区春日町2丁目

    ※都営大江戸線「練馬春日町駅」から徒歩10分
     国際興業バス「春日町」停留所から徒歩1分


【幼少期の写真】

 兄の尾崎康さん著「弟尾崎豊の愛と死と」の扉ページに掲載されている兄弟で映った写真。
 

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 扉ページの写真が撮影された場所は、下の写真の柵の一番奥の角付近。


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 「尾崎豊 THE MEMORIAL」封入のアルバムには、柵の前で父親と一緒に映っている少年時代の尾崎豊の写真もある。


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●ボロ公園

 都営住宅の東側にある小公園で、ボロ公園と呼ばれていた。

 
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 夏休みの土曜日の夜に打ち上げられるとしまえんの花火がよく見え、住宅の大人も子供も花火が上がるとこの公園に集まった。


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●田柄 (たがら) 保育園

 1967年8月から1968年5月に春日町第二保育園に転園するまで、ここに通っていた。


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 アッコちゃんという女の子と仲が良く、引越しでいなくなってしまったその日は、一日中メソメソしていたという(笑)


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  <住所>
   東京都練馬区田柄4丁目36−4


●春日町第二保育園

 1968年5月、尾崎豊が2歳の時、田柄保育園から生家の近くにあるこの保育園に転園した。


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  新しい保育園にもすぐ慣れて、元気いっぱいに通っていたそう。「豊ちゃん豊ちゃん」と園内では人気者だったとか。


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  また、保育園の遠足や、休日に家族でとしまえんをたびたび訪れていた。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町1丁目29−8
 

●田柄第二小学校

 1972年4月に田柄第二小学校に入学。

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 兄と一緒に通えるということで尾崎はとても喜び、4月中旬にはグランドハイツの原っぱで練習して自転車にも乗れるようになった。


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 小5の1学期までをここで学んだ尾崎は、朝霞への引越しに伴って、二学期から朝霞第一小学校に転校した。
 

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  <住所>
   東京都練馬区田柄1丁目5−27


●練馬東中学校

 尾崎が朝霞から越境通学で通っていた中学校で、生家から徒歩5分ほどの所にある。


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 尾崎たちは、第二体育館の右隣によく溜まっていたとのこと。中3の時、仲間と家出したことが『15の夜』のモチーフになった。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町2丁目14−22


●春日町バッティングセンター

 中学時代の尾崎がよく通っていたバッティングセンター。練馬東中学の真向かいにある。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町2丁目14−11


●豊玉公園(タコ公園)

 練馬駅近くの公園で、巨大なタコのすべり台があることから「タコ公園」と呼ばれており、尾崎も子供時代に父親とよく遊びにきていた。


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 尾崎はここで、河内師範に躰道(たいどう)の稽古をつけてもらっていた。のちに谷原町の練馬体育館で稽古が行われ、亡くなる1年くらい前まで稽古を受けていた。 


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  <住所>
   東京都練馬区豊玉北6丁目8−3


●向山 (こうやま) 公園

 『15の夜』の元になった家出をする際、学校の仲間たちが集まった場所。
 

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  保育園時代は、父親と公園まで遊びにきて、仮面ライダーごっこで高いところから跳んで遊んでいたという。


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  <住所>
   東京都練馬区向山3丁目13-3


●光が丘公園(旧グランドハイツ)

 尾崎豊が練馬東中学2年生の時に友達と家出した際、最後に辿りついた公園。父親と一緒に自転車の練習もここでしていた。


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 当時はスクラップ置場が残っており、車のスクラップの中で寝ていた尾崎たちは見回りに来た先生たちに見つかって連れ戻されたという。


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  <住所>
   東京都練馬区光が丘4丁目1−1


●下赤塚駅

 尾崎豊が中学時代、朝霞から練馬東中学に越境通学していた時に使っていた駅。学校をサボって、下赤塚駅のベンチによく座っていたとのこと。


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  <住所>
   東京都板橋区赤塚新町1-23-1



●編集後記

 今年、没後25年ということで、初めて尾崎豊の練馬の生家があった場所に訪れてみました。

 数十年前に住宅が取り壊されているにも関わらず、当時の都営住宅の区画が再開発されずにそのまま残っていたことに驚きました。

 尾崎豊の生まれ育った場所を追体験することで、彼の歌を立体的に感じることができるようになるので、ファンは一度足を運ぶことをオススメします!


【記事引用】「尾崎豊 少年時代」「尾崎豊 新少年時代(1)
      「15の夜の舞台になった向山公園」「向山公園(15の夜公園)

 

妙心寺塔頭 大法院 -秋の特別拝観-


●妙心寺塔頭 大法院 -秋の特別拝観-
※2017年11月1日~30日

 妙心寺塔頭のひとつ大法院で秋に開催されている特別拝観。


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 書院から露地庭を眺めながら抹茶や団子を味わえ、境内には兵法学者佐久間象山の墓地などがあり、真田信之の菩提寺としても知られている。


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 それらの歴史的建造物が、紅葉とともにより一層の風情を醸し出します――。


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●編集後記

 歴史深い京都のお寺で赤絨毯の上で抹茶を飲んで団子を味わいながら、紅葉を眺める。これぞ、日本人としての最高の贅沢。

 妙心寺の八方睨みの龍の天井画も凄い迫力で、一見の価値あり!


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【記事引用】「妙心寺塔頭大法院 秋の特別拝観

曼殊院 -秋の特別夜間拝観-


●曼殊院 -秋の特別夜間拝観-
※2017年11月1日~30日

 門跡寺院としての格式を今に伝える洛北屈指の名刹。


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 紅葉シーズンの夜間拝観は、小さな桂離宮ともいわれる大玄関から大書院、小書院と諸堂を巡りながら、ライトアップされた枯山水庭園を鑑賞。


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 照明に浮かび上がる枯山水庭園の白砂の文様や庭園の紅葉が、悠久の時間を感じさせてくれる。


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 静けさに包まれた書院では、園城寺の黄不動を模した「絹本着色不動明王像」、平安時代の「古今和歌集」、玄関障壁画「竹虎図」、襖絵などの寺宝も鑑賞したい。


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●編集後記

 交通の便が悪いこともあって、夜間に行ったら誰もいませんでした。。

 でも、庭園の厳然美と庭園全体から立ち昇る得たいの知れないパワーに大感動し、閉院まで居座り、翌日の日中にも訪れて曼殊院を満喫――。
  

【記事引用】「【曼殊院】夜間拝観

「SaGa2 ~秘法伝説~」オーケストラver.



●「SaGa2 秘法伝説」オーケストラver.

 ボス戦で流れるBGM『死闘の果てに』をギターで演奏。


 


 バイオリンとチェロの二重奏で、『死闘の果てに』、バトルシーンのBGM『必殺の一撃』、ラスボス戦のBGM『Save the World』を披露。


 


 ラスボス戦のBGM『Save the World』をピアノで弾き語り。


 



●編集後記

 ゲーム発売後20年以上経っても、このようにギターやバイオリン、ピアノなどで本気でゲーム音楽を再現しようとする人がいるという事実。。

 SaGa2の音楽性の比類なき高さの何よりの証明なのではないでしょうか――。


  


【画像引用】「Sa・Ga2 秘宝伝説
 
 

「坂の上の雲」と大企業病



●大企業病との共通点

 明治初期の日本の海軍と陸軍、帝政ロシアの姿を描いた「坂の上の雲」での描写が“大企業病”と共通点が多いことに気付きました。

 読みながら付箋を貼った箇所をまとめてみました――。


●「坂の上の雲」より

【極端な規律美】

 どの国の軍隊でも、軍隊は規律をもって生命としているが、ドイツ軍隊にあってはそれが極端であり、規律美のためには他の重要なことでも当然のように犠牲にする。


【規律と形式】

 ドイツ騎兵の鈍重さ。というのは、フランスだけでなくヨーロッパの馬術界の定評になっていた。


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 あきらかにドイツの規律と形式を好みすぎる性癖からきた弊害だが、ドイツ人たちはこの不便さに気づきながらもなおかつこの教範を改正しようとしないのは、個人の性癖がなおしにくのと同様、民族の性癖というものも、どうにもならぬものらしい。


【非合理な金縛り】

 日本の騎兵は、あの非合理なドイツ乗馬術の金縛りにあって身うごきがとれなくなるであろう。


【晦渋な戦略戦術】

 すぐれた戦略戦術というものはいわば算術適度のもので、素人が理解できるような簡明さをもっている。

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 逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋な戦略戦術はまれにしか存在しないし、まれに存在しえても、それは敗北側のそれでしかない。 

 たとえていえば、太平洋戦争を始動した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想がそれであろう。


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 戦術の基本である算術性をうしない、世界史上まれにみる哲学性と神秘性を多分にもたせたもので、多分というよりはむしろ、欠如している算術性の代用要素として哲学性を入れた。

 戦略的基盤や経済的基礎のうらづけのない「必勝の信念」の鼓吹や、「神州不滅」思想の宣伝、それに自殺戦術の賛美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学が、軍服をきた戦争指導者たちの基礎思想のようになってしまっていた。


【秩序が老化】

 この時期のロシア人には、ロシア社会そのものが生気を失い、秩序が老化しきっていたせいもあって、そういう民族的活力にとぼしいようであった。


【随順の美徳】

 徳川300年の封建制によってつちかわれたお上への怖れと随順の美徳が、明治30年代になっても兵士たちの間でなお失われていない。命令は絶対のものであった。


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 かれらは一つおぼえのようにくりかえされる同一目標への攻撃命令に黙々としたがい、巨大な殺人機械の前に団体ごと、束になって殺された。


【応変能力の欠落】

 伊地知幸介がすぐれた作戦家であるという評判は、陸軍部内で少しもなかった。

 ないどころか、物事についての固定観念のつよい人物で、いわゆる頑固であり、柔軟な判断力とか、状況の変化に対する応変能力というものをとても持っていないということも、かれの友人や旧部下のあいだではよく知られていた。


【保守主義者】

 陸軍には、海軍の山本権兵衛に相当するようなすぐれたオーナーがいなかった。


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 「日本海軍はどうあるべきか」という構想が最初からあり、いかにすればロシアに勝てるかという主題がその構想を精緻にし、それをもって海軍の体質から兵器まで一変させた。

 が、陸軍は山本に相当する人物をもたなかった。


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 地位と権力からいえば山県有朋がそうあるべきだったが、この権力好きな、そしてなによりも人事いじりに情熱的で、骨のずいからの保守主義者であったこの人物の頭脳にあたらしい陸軍像などという構想がうかぶはずがなかった。


【わけのわからぬ命令】

 この乃木軍の下ではたらいている師団長や旅団長といった将官級で、うまれついての将才と軍人としての資質をもっていた一戸兵衛は、金沢の第6旅団をひきいて攻城に参加し、いわゆる一戸保塁をうばいとった人物だが、その一戸でさえ乃木を批判し、

 「あの旅順包囲の期間中、私は前線で戦いながら、なぜ軍司令官(乃木)はこうも状況に適しない、わけのわからぬ命令ばかりを出すのだろうか」とおもったという。


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 このあまりにひどい作戦指導に、士卒こそ従順に死んで行ったが、将官級のなかの一、二の者はわざと病気になり後方に送られる者すらでてきた。

 明治の日本人にとって国家と天皇というものが絶対のものであったのに、そういう連中のなかでもわずかながら動揺があらわれてきたことはたしかであった。


【官僚秩序の老化】

 「日露戦争はあの式で勝った」というそういう固定概念が、本来軍事専門家であるべき陸軍の高級軍人のあたまを占めつづけた。

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 織田信長が、自己の成功体験である桶狭間の自己模倣をせず、つねに敵の倍する兵力をあつめ、その補給を十分にするということをしつづけたことをおもえば、日露戦争以後における日本陸軍の首脳というのは、はたして専門家という高度な呼称をあたえていいものかどうかもうたがわしい。

 この当時の関東軍参謀の能力は、日露戦争における参謀よりも軍事知識は豊富でありながら、作戦能力がはるかに低かったのは、すでに軍組織が官僚化していてしかもその官僚秩序が老化しきっていたからであろう。
  
 老化した官僚秩序のもとでは、すべてはこうであった。

 1941年、常識では考えられない対米戦争を開始した当時の日本は皇帝独裁国ではなかったが、しかし官僚秩序が老化しきっている点では、この帝政末期のロシアとかわりはなかった。


【痼疾の反復】

 同じ失敗を三度くりかえし、千人の兵をむなしく消滅させてしまうというのはどういうことであろう。


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 これは乃木の軍司令部や大迫の師団司令部だけの責任ではなく、日本陸軍の痼疾(こしつ)とでもいうべきものであった。

 戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるように絶対の原理もしくは方法とし、反覆してもすこしもふしぎとしない。


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 この痼疾は日本陸軍の消滅までつづいたが、あるいはこれは陸軍の痼疾というものではなく、民族性のふかい場所にひそんでいる何かがそうさせるのかもしれなかった。


【健康な批判機関の欠落】

 考えてみれば、ロシア帝国は負けるべくして負けようとしている。

 その最大の理由が、制度上の健康な批判機関をもたない独裁皇帝とその側近で構成されたおそるべき帝政にあるといっていい。


【毒害と病弊】

 かれらはことごとく専制ロシアをのろい、「日本が、その悪魔を退治してくれることを望む」と、明石にいった。
 
 
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 明石は、露都ペテルブルグではさほどにも思わなかった専制ロシアの毒害と病弊が、ストックホルムにきてそれがいかにふかいかを全身で知った。

 
【国際的常識の欠如】

 要するに日本では軍隊こそ近代的に整備したが、民衆が国際的常識においてまったく欠けていたという点では、なまなかな植民地の住民よりはるかに後進的であった。


【頑迷な固定概念】

 かれはあるとき、ロシア皇帝の事実上の支配者である皇后に拝謁し、ロシアのその頑迷な固定概念をあらためさせようとして、ロシアの危機がいかに深刻であるかについて語った。 

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 が、皇后はあたまからうけつけず、「皇帝に反対していいるのは、知識階級だけです。民衆はすべて皇帝の味方です。」と、いいきった。


【型の犠牲者】

 この銃剣突撃は、おどろくべきことに後備第一師団と第十一師団の全力をあげておこなわれた。

 (またあれをやるのだ)という兵士たちの絶望的な思いが、眼前のロシア軍陣地をもって「小旅順」ととなえしめたのであろう。

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 日本軍の師団参謀たちの頭は開戦一年余りですでに老化し、作戦の「型」ができ、その戦闘形式はつねに「型」をくりかえすだけという運動律がうまれてしまっていた。

 「型」の犠牲はむろん兵士たちであった。


【病理的な精神】

 ところがこの大風塵の9日、戦況についてすこしの不利な要素も発生していないのに、「いっそ鉄嶺まで総退却しよう」と決心するにいたるのは、かれの性格と精神に病理的な理由を見出す以外に、常識では考えられないことであった。

 <7巻・P157>


【無能な士官】

 ロシアの革命気分を醸し出した原因は無数にあるが、ロシアの市民が政府、具体的には官吏の能力に対して絶望的な不信感をもっていたこともそのひとつにあげられる。


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 官吏の無能とそれへの民衆の不満というのは帝政ロシアのぬきがたい病根であった。

 軍隊の場合は士官の無能ということになり、これに生命をあずけねばならない兵卒としてはペテルブルグやモスクワの市民よりも不満は深刻であった。


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 言葉をかえていえば戦時における兵卒の持続的服従心というのは士官が有能であるということによってのみ成立するものであったが、カムラン湾を追い出されて漂泊しはじめたこの艦隊が、この時期から士官階級の尊厳性が薄れて兵卒の士官に対する服従心がめだって低下し、抗命事件が頻発するのは、やむをえないことであった。


【諸種の悪習慣】

 かれの信条によると、生まれながらの兵士というものはありえず、兵士とは訓練によってのみつくられるものだとおもっていた。

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 このためにこの航海中、たえず兵員の訓練をした。

 かれはそのながい艦隊勤務の経験によって、兵士には勇怯がなく、あるのは、訓練による動作の型の堅弱のみであると信じていたし、さらにかれによれば兵士というのはいかに厳格な訓練にも耐えうるものだが、かれらの士気を失わしめるものは兵士の心理に無理解な上官と、一種の軍隊悪ともいうべき諸種の悪習慣であると思っていた。

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 ネボガトフの信望とこのやりかたは、航海の日数をかさねるにつれ、次第に水兵の反抗気分を薄らがせることに成功した。



●編集後記

 最近、世間を騒がせている神戸製鋼や日産自動車の品質に関する不祥事。

 根本的な原因は会社が大企業病に陥っているからだけど、大企業に陥っている自覚がないのがまたやっかいな問題。

 大企業病が発病する原因を明らかにしてそれに対する対策を施さないと、また同じ不祥事は起こるような気がします。。


【記事引用】「坂の上の雲/司馬遼太郎
【画像引用】「FOTOSEARCH

 

坂本龍馬記念館



●坂本龍馬記念館
※1991年11月15日開館

 高知県高知市にある坂本龍馬に関する博物館で、1991年の龍馬の誕生日である11月15日に開館。


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 坂本龍馬に関する歴史資料をわかりやすく展示するとともに、人柄や業績、考え方についても紹介している。龍馬が暗殺された近江屋の部屋も再現されている。


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 桂浜公園内に建ち、屋上展望からは太平洋を一望できる。


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●編集後期

 龍馬の地元の博物館なのに展示されてるのが複製ばかりでちょっと残念だけど、龍馬が暗殺された部屋を再現したセットと脱藩の道を詳しく紹介したパネルは良かった。

 ただ、龍馬記念館で一番お薦めなのはやっぱり、屋上からの太平洋のパノラマ。眺めてるだけで雄大な気持ちになれます!


      

 

【記事引用】「坂本龍馬記念館

坂本龍馬ゆかりの地



●龍馬の原風景

 今日は坂本龍馬の誕生日&命日なので、高知県にある龍馬ゆかりの地を紹介します――。


●坂本龍馬誕生地

 高知城下本丁筋1丁目、現在の上町1丁目で誕生した龍馬。龍馬の誕生日かつ命日の11月15日には、碑の前で龍馬誕生祭を開催している。


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●日根野道場跡

 龍馬が14歳から19歳まで剣術修行に励んだのが、日根野弁治が開いた日根野道場。鏡川に面した築屋敷と呼ばれる所にあった。


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 現在、道場は残っていないが、剣術をはじめ居合や槍、水泳など武芸修行の場であり、龍馬は小栗流和兵法事目録を授けられたと言われている。


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●鏡川

 日根野道場が川沿いだったため、龍馬にとって身近な遊び場だった。姉の乙女に泳法を教わったり、「どうせ濡れるから」と言って雨でも泳いでいたという逸話が残る。


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●坂本家墓所

 上町から北西の丹中山にある坂本家一族の墓所。元は2箇所に分かれていたが移転・改葬され、現在は公園として整備されている。


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 龍馬の父の八平直足や母の幸、兄の権平直方、姉の栄に乙女などの御霊が眠る。


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 坂本家のお墓が一同に会しているので、一家団らんをしている坂本家の絵が浮かんできて、ほのぼのとした気持ちになれます。


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●武市半平太道場跡

 土佐勤王党を結成した武市半平太の道場と邸跡。


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 1855年に開いた道場には、中岡慎太郎や岡田以蔵など120人を数える門人が通い、剣術を学んだ。半平太と親戚だった龍馬も頻繁に訪れていたといわれる。

 
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 半平太の道場と邸があったのは、写真の右上の建物付近だったと伝えられている。


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●田中良助旧邸

 現在の高知市柴巻にあった坂本家の領地を管理していた田中家の邸宅で、龍馬がよく訪れていた場所。


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 明治19年に高知県を襲った台風で被害に遭い、西側の畑から風当たりの少ない現在の地に移築され、屋敷の南側には風除けのための石垣が築かれた。


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 金曜日、土曜日、日曜日のみの開館で、開館時間は10:00~17:00となっている。


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 屋敷の近くにある八畳岩からの景色は、高知城や城下街、果ては太平洋まで見渡せる絶景で、当時、龍馬と良助はここで囲碁を指して楽しんだといわれている。 


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●喫茶さいたにや

 坂本家の本家・才谷屋の跡地に建つ喫茶店で、龍馬ファン必訪のスポットになっている。


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 敷地の見取り図や家系図をはじめ、龍馬の似顔絵や訪れた著名人のサインなどが店内中に飾られている。名物の龍馬珈琲は、ブーツ型のクッキー付きで450円。


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●和霊神社

 坂本家の本家・才谷屋三代目の坂本直益が、坂本家の守護神社として建立した神社。


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 28歳の時、脱藩することを決意した龍馬は、家族に「吉野に花見に行く」と言い残して沢村惣之丞とともに和霊神社を訪れた。


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 龍馬はこの場所で静かに水盃を飲み、土佐を後にしたという。ここに立つと、故郷や家族を捨て、藩の大罪を冒してまで自分の信念を貫こうとした彼の決意を感じることができる。


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●坂本龍馬記念館

 高知県高知市にある坂本龍馬に関する博物館で、1991年の龍馬の誕生日である11月15日に開館。


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 坂本龍馬に関する歴史資料をわかりやすく展示するとともに、人柄や業績、考え方についても紹介している。龍馬が暗殺された近江屋の部屋も再現されている。


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●龍馬のうまれたまち記念館

 龍馬が生まれてから脱藩までを過ごした上町の歴史や文化を模型やCG映像などで紹介している。


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 昔の上町の町並みが半立体で再現され、坂本家の本家・才谷屋ほか龍馬に関連する店のジオラマ模型や、幕末期の上町のミニチュア模型も設置されている。


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●坂本龍馬像

 地元の青年有志の募金活動で1928年に建立された龍馬の銅像で、桂浜公園の高台にある。


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 和服に懐手、足元はブーツという出で立ちの龍馬像は高さ3.3m、台座を含めた総高は13.5m。桂浜の龍頭岬から雄大な太平洋を眺める姿は、大志を抱く龍馬をイメージさせる。


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 4/3~5/30と龍馬まつり前後は、龍馬像横に特別展望台が設置され、龍馬像を間近で観ることができる。


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●編集後期

 坂本龍馬ゆかりの地巡りで最大の難関なのが、田中良助旧邸。

 高知駅前から車での行程30分の2/3が山道で、車2台がやっと通れるような細く曲がりくねった道が続き、時々対向車としてトラックが走ってきたりして、手に汗握る走行が続きます。

 途中からはガードレールも無くなり、「こんな所に史跡があるのか?」と思ってしまうほど。。

 さらに、旧宅は写真の右側の車が通れない細い坂を歩いていくルートなので、すぐ脇が崖になっている道路脇に路上駐車をしなければなりません。


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 しかも、帰りのことも考えて進行方向とは逆向きに止める必要があるという(汗)

 さらに、駐車するすぐ先に見通しの悪いカーブがあり、そこからの対向車に怯えながら車を何回も切り返さなければならない。。

 でも、八畳岩から見える光景は絶景で、ここまで来るための大変さが報われるようでした――。


 
【記事引用】「幕末維新 ゆかりの地と軌跡をめぐる旅」「一個人 坂本龍馬を巡る旅
 
 

源光庵 (京都)


●源光庵
※1346年開創

1346 (貞和2) 年、大徳寺2代徹翁義国師によって開創された寺院。


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1649 (元禄7) 年、卍山道白禅師により臨済宗から曹洞宗に改められた。現在の本堂はその年の建築。


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丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」があり、それぞれに仏意がこめられている。


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本堂の天井は、伏見城の遺構で、落城の悲劇を伝える血天井。


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●編集後記

 「迷いの窓」、「悟りの窓」から見える紅葉が特徴的なこの寺院。

 ここに来れば悟りを開くことができるわけではありませんが、話題の一つとして訪れてみるのはいかがでしょうか(笑)


【記事引用】「京都観光ナビ

北野天満宮 (京都)


●北野天満宮
※947 (天暦元) 年創建

 天神信仰発祥の地で、日本中に12000社もあるといわれる全国天満宮・天神社の総本社。


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 天神さん・北野さんとも呼ばれ、太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。


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 境内西側には、天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界また、水防のために築いた土塁「御土居」の一部が残り史跡に指定されている。


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 その史跡御土居には、現在でもかつてからの自然林が残り、四季に応じ様々な美しさを感じることができる。


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 秋の紅葉は菅原道真公がこよなく愛でられた梅と同様に御縁の樹木で、御土居一帯にはおよそ300本、樹齢350年から400年のものが数本あり、鮮やかに彩られる。


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 また、御土居にはかつて紙漉き場であった紙屋川が流れており、赤や黄に見事に染まった木々が紙屋川の水面に映え渡り錦秋の世界へ誘う。


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●編集後記

 京都市内にある他の寺院の紅葉と比べるとちょっと大味な印象を受けるけど、綺麗なことには変わりありません。

 お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ足をお運び下さい――。


【記事引用】「Wikipedia」「北野天満宮」「紅葉名所

尾崎豊ゆかりの地 / 東京



●尾崎豊の足跡を辿る

 関東にある練馬以外の尾崎豊ゆかりの場所を紹介します。尾崎豊が辿った足跡を追体験することで、新しい尾崎豊が見えてくる――。



●自衛隊中央病院

 【自衛隊中央病院】
 
 言わずと知れた「尾崎豊生誕地」。


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 1965年11月28日夜、健一さんは産気づいた絹枝さんをタクシーで病院に送った後、練馬の都営住宅で知らせを待っていました。
 
 すると、産室に入ったと同時に出産が始まり、11月29日の明け方に医師が駆けつける前に看護婦さんの手で取り上げられました。
  
 尾崎豊が、現世に光臨した瞬間です――。

 
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 なお、この病院は尾崎が1歳6カ月の頃に、絹枝さんが髄膜炎を患って3カ月ほど入院した病院でもあります。
 
 健一さんは病院に寝泊りすることになり、尾崎と康さんを親戚の家に預け、病院から仕事場に通っていたそうです。

 
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 ・東京都世田谷区池尻1丁目2−24
  ※東急東横線「祐天寺駅」より徒歩15分



●旧ソニー信濃町スタジオ

 尾崎豊が1982年10月11日に、CBSソニーのオーディションを行った場所。


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 当日のオーディションをすっぽかし、ソニーのスタッフに説得されて翌日訪れ、「ダンスホール」、「もうおまえしか見えない」を披露した。


     


 アルバム「十七歳の地図」と「壊れた扉から」はここでレコーディングされた。現在、建物は現存していない。


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 ・東京都新宿区南元町5−8
  ※JR信濃町から徒歩5分


●旧CBSソニー本社ビル


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 尾崎豊とディレクターの須藤晃は、1982年12月にビルの6階で初対面した。

 尾崎は約束の時間に1時間以上遅刻し、待ちくたびれて帰ろうとした須藤氏とエレベータ前で鉢合わせた。


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 青学の制服を着てカバンを脇に抱え、手には根性焼きの跡がたくさんあったという。
   
 ・東京都新宿区市谷田町1丁目4
  ※JR市ヶ谷駅から徒歩5分
  


●旧新宿ルイード


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 尾崎豊が、1984年3月15日にデビューライブを行った場所。
 
 ライブ当日、キャパ300に対して倍近い観客が押し寄せ、入りきれなかったファンのために外にモニターが設置された。
 
 父親の健一さんは仕事で行くことができず、母の絹枝さんと兄の康さんが訪れたという。


     

 
 “ロックの殿堂”と呼ばれた新宿ルイードは、1972年にオープンし、RCサクセションやキャロル、荒井由美、吉川晃司、チェッカーズなど、多くのアーチストを輩出。

 しかし、振動・騒音問題で1987年に閉店している。


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 ・東京都新宿区新宿3-26-18 カワノビル4F
  ※JR新宿駅東口から徒歩5分



●旧個人事務所「アイソトープ」

 尾崎豊が設立した個人事務所アイソトープがあったマンション。


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 尾崎は、いかにも音楽事務所めいた駅前のオフィスビルではなく、住宅街に事務所を構えたいという意向で、このマンションに決めたという。

 
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 住宅用のマンションを音楽事務所のオフィスとして使用し、尾崎には覚醒剤の前歴があったため、不動産屋を何軒も回ったがどれも審査で断れた中でようやく見つけた場所。
  

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 ・東京都渋谷区代々木5丁目5-11 メゾンドビュッテ201
  ※代々木八幡駅から徒歩1分



●落合斎場

 1992年4月30日午後四時、護国寺での告別式を終えた尾崎豊の肉体はここで荼毘に付された。


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●編集後記

 時間がなかなかとれず、作成中途中です(汗) なんとか11月29日の尾崎豊の誕生日までには完成させたいです。。


【記事引用】「尾崎豊 少年時代」「尾崎豊 新少年時代(1)

「めがね岩」(釧路)


●めがね岩(釧路)

 釧路の東端、桂恋漁港の近くにあるメガネの形をした岩。

 岩の隙間から眺める夕日が密かな人気となっています。三津浦のメガネ岩、毘沙門のメガネ岩など、呼ばれ方は様々のようです。


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 こんなロマンチックな写真を撮ることもできます♪


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  【住所】 釧路市桂恋72
  【アクセス】 くしろバス昆布森線乗車(バス停「毘沙門」下車徒歩数分)




●編集後記

 釧路の夕日といえば、幣舞橋や細岡展望台からの眺望が有名ですが、穴場的なスポットとしてめがね岩から夕日を観るのもアリかもしれません。

 ただ、経年による風化でブリッジの部分が崩落してしまう恐れがあるとのことで、できれば補強工事などを行ってもらいたいものです。。


【画像引用】「中村誠司」「フォトグラ・くしろ
【記事引用】「これが三つ浦『メガネ岩だ』!

尾崎豊ゆかりの地 / 練馬



●尾崎豊の原風景

 尾崎豊が幼少期を過ごした練馬。今年は没後25年ということで、練馬にある「尾崎豊ゆかりの場所」を紹介します――。


●都営住宅跡

【尾崎豊の生家】

 尾崎豊が幼少期を過ごした都営住宅があった場所。当時の区画がそのまま残されている。


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 尾崎豊の生家があったのはこの辺り。六畳二間の平屋で、健一さんが庭に作った池で泥遊びをするのが大好きだったという。


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 健一さんは、日曜大工で住宅の東側に隣接した風呂場も造り、南側には知り合いの大工に頼んで、本格的な四畳半の子供部屋の増築も行った。

 
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   <住所>
    東京都練馬区春日町2丁目

    ※都営大江戸線「練馬春日町駅」から徒歩10分
     国際興業バス「春日町」停留所から徒歩1分


【幼少期の写真】

 兄の尾崎康さん著「弟尾崎豊の愛と死と」の扉ページに掲載されている兄弟で映った写真。
 

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 扉ページの写真が撮影された場所は、下の写真の柵の一番奥の角付近。


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 「尾崎豊 THE MEMORIAL」封入のアルバムには、柵の前で父親と一緒に映っている少年時代の尾崎豊の写真もある。


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●ボロ公園

 都営住宅の東側にある小公園で、ボロ公園と呼ばれていた。

 
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 夏休みの土曜日の夜に打ち上げられるとしまえんの花火がよく見え、住宅の大人も子供も花火が上がるとこの公園に集まった。


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●田柄 (たがら) 保育園

 1967年8月から1968年5月に春日町第二保育園に転園するまで、ここに通っていた。


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 アッコちゃんという女の子と仲が良く、引越しでいなくなってしまったその日は、一日中メソメソしていたという(笑)


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  <住所>
   東京都練馬区田柄4丁目36−4


●春日町第二保育園

 1968年5月、尾崎豊が2歳の時、田柄保育園から生家の近くにあるこの保育園に転園した。


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  新しい保育園にもすぐ慣れて、元気いっぱいに通っていたそう。「豊ちゃん豊ちゃん」と園内では人気者だったとか。


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  また、保育園の遠足や、休日に家族でとしまえんをたびたび訪れていた。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町1丁目29−8
 

●田柄第二小学校

 1972年4月に田柄第二小学校に入学。

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 兄と一緒に通えるということで尾崎はとても喜び、4月中旬にはグランドハイツの原っぱで練習して自転車にも乗れるようになった。


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 小5の1学期までをここで学んだ尾崎は、朝霞への引越しに伴って、二学期から朝霞第一小学校に転校した。
 

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  <住所>
   東京都練馬区田柄1丁目5−27


●練馬東中学校

 尾崎が朝霞から越境通学で通っていた中学校で、生家から徒歩5分ほどの所にある。


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 尾崎たちは、第二体育館の右隣によく溜まっていたとのこと。中3の時、仲間と家出したことが『15の夜』のモチーフになった。


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 尾崎はフォークソングクラブに入り、中1の時に文化祭で体育館で全校生徒の前で弾き語りを披露したところ大ウケして、一躍学校の人気者になったという。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町2丁目14−22


●春日町バッティングセンター

 中学時代の尾崎がよく通っていたバッティングセンター。練馬東中学の真向かいにある。


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  <住所>
   東京都練馬区春日町2丁目14−11


●豊玉公園(タコ公園)

 練馬駅近くの公園で、巨大なタコのすべり台があることから「タコ公園」と呼ばれており、尾崎も子供時代に父親とよく遊びにきていた。


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 尾崎はここで、河内師範に躰道(たいどう)の稽古をつけてもらっていた。のちに谷原町の練馬体育館で稽古が行われ、亡くなる1年くらい前まで稽古を受けていた。 


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  <住所>
   東京都練馬区豊玉北6丁目8−3


●向山 (こうやま) 公園

 『15の夜』の元になった家出をする際、学校の仲間たちが集まった場所。
 

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  保育園時代は、父親と公園まで遊びにきて、仮面ライダーごっこで高いところから跳んで遊んでいたという。


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  <住所>
   東京都練馬区向山3丁目13-3


●光が丘公園(旧グランドハイツ)

 尾崎豊が練馬東中学2年生の時に友達と家出した際、最後に辿りついた公園。父親と一緒に自転車の練習もここでしていた。


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 当時はスクラップ置場が残っており、車のスクラップの中で寝ていた尾崎たちは見回りに来た先生たちに見つかって連れ戻されたという。


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  <住所>
   東京都練馬区光が丘4丁目1−1


●下赤塚駅

 尾崎豊が中学時代、朝霞から練馬東中学に越境通学していた時に使っていた駅。学校をサボって、下赤塚駅のベンチによく座っていたとのこと。


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  <住所>
   東京都板橋区赤塚新町1-23-1



●編集後記

 今年、没後25年ということで、初めて尾崎豊の練馬の生家があった場所に訪れてみました。

 数十年前に住宅が取り壊されているにも関わらず、当時の都営住宅の区画が再開発されずにそのまま残っていたことに驚きました。

 尾崎豊の生まれ育った場所を追体験することで、彼の歌を立体的に感じることができるようになるので、ファンは一度足を運ぶことをオススメします!


【記事引用】「尾崎豊 少年時代」「尾崎豊 新少年時代(1)
      「15の夜の舞台になった向山公園」「向山公園(15の夜公園)

 

OZAKI LOVERS ~尾崎豊と愛すべきものたち~



●OZAKI LOVERS ~尾崎豊と愛すべきものたち~
※2014年4月27日開設

 「尾崎豊が遺したもの一つ一つを確かめながら、そして、それを理解しながら、語り継ぎ、歌い継いで未来へと繋げていく」という趣旨の下に設立されたグループ


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 今では尾崎の一人息子の裕哉君に関する投稿も増えてきて、親子二代に渡って尾崎の系譜を受け継ぐ投稿内容となっています。

 
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 尾崎豊の曲を歌い継いでいるトリビュートバンドのイベントに関する投稿もあり、日々様々な投稿を楽しめます。

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●編集後記

 3年前にFBで尾崎豊に関するグループがないか検索してみたところ一つもなったので、何の気なしに開設したこのグループ。
 
 おかげ様で、今ではFB最大規模のグループになり、尾崎豊のことを広く深く知り、尾崎豊が遺したものを地道に後世に伝え続けています――。


【画像引用】 「OZAKI LOVERS ~尾崎豊と愛すべきものたち~

「尾崎豊の歌碑」



●尾崎豊の歌碑
※1994年4月25日建立

 渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル)前のテラスには、尾崎豊のレリーフと『十七歳の地図』の歌碑が在る。


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 青山学院時代の尾崎が、学校帰りによくここに立ち寄って夕日を眺めていたことに因んで、三回忌にあたる1994(平成6)年4月25日に建てられた。


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 また、ここは『十七歳の地図』の「歩道橋の上 振り返り 焼けつくような夕陽が今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ」という歌詞の舞台にもなっている。


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 毎年、尾崎豊の命日と誕生日には全国から尾崎ファンが集まり、歌碑の前や歩道橋で、彼が遺した歌を弾き語りながら彼を偲んでいる――。


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      人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば
      しがらみのこの街だから 強く生きなきゃと思うんだ

      ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる

      歩道橋の上 振り返り
      焼けつくような夕陽が
      今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ

      Seventeen's map



      尾崎 豊


        



●編集後記

 没後、四半世紀の月日が流れた2017年11月29日の尾崎豊の52回目の誕生日。

 渋谷クロスタワー前にある歌碑では、今年も全国各地から尾崎ファンが集まり、彼の誕生日を祝って彼が遺した曲たちを歌って尾崎豊を偲んでいます。

 亡くなってから25年も経っても、未だにこれだけのたくさんファンに愛され続けている彼は、幸せ者です――。


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【記事引用】「尾崎豊の歌碑」「渋谷文化プロジェクト
【画像引用】「OZAKI LOVERS ~尾崎豊と愛すべきものたち~


特別展覧会「国宝」



●41年ぶりの開催

 10月3日から11月26日にかけて、京都国立博物館にて開催された特別展覧会「国宝」。

 絵画、彫刻、工芸など、全国から様々な分野の国宝が集結する展覧会で、4期に分けて、国宝の美術工芸品885件のうち210件が一般公開されました。

 その一部を紹介します――。



●火焔型土器(縄文時代・紀元前3500年~2500年)


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 新潟・十日町市の笹山遺跡から出土した縄文土器。

 縄文時代中期、最も造形と文様が盛んな時代に制作された日本最古の国宝の一つで、燃え上がる炎を象ったかのような形状が特徴。

 5000年以上の時を経てきた土器の厳然とした存在感に、ただただ驚嘆。



●藤原道長の経筒(平安時代・11世紀)


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 「この世をば わが世とぞおもふ望月の 欠けたることも無しとおもへば」

 長女を一条天皇の妃とし、彼女の生んだ皇子を後一条天皇に即位させて、天皇の祖父として絶大な権力をふるいこの世を謳歌した藤原道長。

 彼は、奈良時代から信仰を集める聖なる山の金峯山に、自ら写経したこの筒を埋めた。

 フィクション的な存在だったので、経筒に彫られた直筆の“道長”という文字を見た瞬間、彼の存在感がリアルに伝わってきて「ホントにいたんだ」的な感動が。。



●源氏物語絵巻(平安時代・12世紀)


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 日本文学史上の傑作にして、今や世界中で読まれる光源氏の恋愛物語で、この絵巻は源氏物語を描いた現存最古の作品。

 筆使いがリアルに感じられて昨日描かれたような感じなのに、1000年以上前に描かれたモノという時空を超えた存在に、ただただ絶句。

 以前から、平安時代の優雅な空気感を感じてみたいと思っていただけに感無量でした。



●扇面法華経冊子(平安時代・12世紀)


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 扇型の紙面に装飾を施し、その上に法華経を書写して中央で綴じた冊子本。

 絵は貴族や庶民の風俗など世俗的な題材が描かれる。平安時代の貴族趣味を反映して盛行した装飾経の代表作。
 
 一字一句、気を抜くことなく丁寧に描かれた文字にただただ驚嘆。



●大日如来坐像(平安時代・12世紀)


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 この像を安置する金剛寺のお堂は平安時代末期の1178年に建てられたという記録があり、この仏像は堂と同じ時期に造られたと考えられている。

 仏像を造るために必要な費用を出したのは鳥羽天皇の皇女である八条院で、仏像の高さは3メートル14センチにものぼる。

 その眩いほどの神々しさと圧倒的な存在感は、見るものを圧倒する。



●赤韋威鎧(平安時代・12世紀)

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 平安時代後期、武将の着用として制作が盛んになった大鎧で、勇壮で毅然とした威容、周到な素材の取り合わせは、日本甲冑独特の美を示しています。

 戦場で自分の身を守るために装備する鎧ですが、そこまでこだわるのかというくらい装飾が凄くて、鎧というより芸術作品という感じがしました。 

 戦いというのは一命を落とす危険性が絶えずある場所なので、死んだ自分の身を飾る芸術品という意味合いもあったのでしょう。

 

●伝源頼朝像(鎌倉時代・13世紀)


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 鎌倉時代前期に描かれた源頼朝の肖像画。

 小さい頃、教科書で見ていた写真の当時モノの直筆版が目の前にあるという現実に、ただただ感動。閉館時間までに5周位して、目に焼き付けました(笑)

 思ったより大きく、真っ黒に見えた装束には繊細な模様がびっしりと描かれていました。頼朝の肖像画の前にだけ何重にも渡って人垣ができていて大人気!



●胎蔵界曼荼羅(平安時代・9世紀)


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 804年、日本からの留学僧・空海は唐の国師・青龍寺の恵果和尚から密教の奥義を伝授され、貴重な経典類や文物と共に密教美術の至宝として「両界曼荼羅」を伝えられた。

 曼荼羅(まんだら)は密教の秘法の真髄を視覚的に表し、 教理の理解や観想に用いた仏画。

 胎蔵界曼荼羅は、宇宙の全ての生命が、母親の胎内の子のように仏の広大な慈悲の理法によって護られ、育まれることを示した曼荼羅となっている。

 高さが2メートル以上もある巨大な作品で、一つ一つの仏様を丁寧かつ繊細に描いていることに驚愕しました――。




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●編集後記
 
 展示品全てが国宝ということもあり、絵画から文筆、仏像、金工、その他全てが常軌を逸した凄まじいこだわりを持って作られていて、圧倒されっ放しでした。

 何せ、テレビもラジオもパソコンもスマホも漫画やゲームも何もかも無かった時代。

 不便な時代だったけど、何にも煩わされることなく自分の時間を芸術作品を作ることに費やせたわけで、芸術家にとっては幸せな時代だったと思います。


【巨大なタイムマシン】

 今回、漢倭奴国王印と印字された金印と、雪舟の水墨画の展示がすでに終わっていて見れなかったのが残念でした。

 でも、そんなことを忘れてしまうほど感情メーターが常時振り切れるヤバすぎる空間でした。

 何より凄いのが、それぞれの作品がそれぞれの時代の空気をまとっているので、作品を眺めていると自然とその時代にタイムスリップしてしまうこと。

 なので、途中から「~時代に行きたくなったからこのフロアに行こう」という感じになって、会場内がまるで巨大なタイムマシンと化していました。


【文字に対するこだわり】

 あと、驚いたのが平安時代に書かれた法華経の経典の巻物。

 気の遠くなるような物凄い文量なのに、「とめ、跳ね、払い」に至るまで一字一句、全神経を集中させて丁寧に書かれていました。

 そのこだわりぶりに驚嘆すると同時に、パソコンで簡単に文字を入力している自分が恥ずかしくなりました(汗)

 自分が日本語という文字に対するこだわりを失っていることを実感したので、学校で習った書道をもう一度始めてみようかなとも思ってます。。

 
【国宝の巡回展示を】

 正直な話、1000兆円を超える借金で苦しむ日本ですが、「国宝展」を日本全国で巡回展示したら、国の借金もすぐに返せると思いました。

 今回の「国宝展」は過去最高の入場者数になったけど、それでもたった62万人。

 海外からの来場者やリピーターもかなりいたはずで、ほとんどの日本人がこの展示を見ていないのはあまりにももったいない。

 国民は日本人としての意識レベルが上がって国のことを真剣に考えるようになるし、国は借金を返せるし、Win-Winな施策だと思んですけどね~。


【日本人の成長度】

 今回、国宝展の展示物を眺めていて、途中からまるで日本人という一つの生命体の成長記録を眺めているような気分になりました。

 旧石器時代や縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代などの時代を経てきた日本人は今、どのくらいまで成長しているのでしょう。

 国宝展で昔の人の徹底したこだわりの精神に触れて、便利なものが溢れる現代人の精神は逆に退化しているのはないかと思ってしまいました。

 便利なものには必ず不便なものがついて回るといいます。

 自分を含めた現代人は、SNSの普及で繋がりを得た代わりに自分の時間を失っていて、それによって自己啓発や内省の時間が急激に減っているように思います。

 パソコンやスマホの普及で自分の手で文字を書かなくなっていることもあり、それによって精神面での退化を引き起こしているのはないでしょうか。



【入力情報の質】

 今回、国宝展の会場の中で、普段の日常生活では絶対に考えないような崇高なことばかり考えている自分がいました。

 色んなことを感じたり考えたりしたけど、メモ張を持っていなくて、その時に感じたことの一部を忘れてしまったのが悔やまれます(泣)

 今まで、日本人類レベルでこれほど深く物事を考えたことがなく、「人間という生き物は、入力される情報の質によって考えることの質が代わる」ということを実感しました。

 それは、どうでもいい情報ばかり入力していると、どうでもいいことばかり考えるどうでもいい人間になってしまうということの裏返しでもあります。

 玉石混交の情報が溢れる現代で、情報を取捨選択することの大切さを学んだ一日でした――。



 



【記事引用】「京都国立博物館」「国宝展
      「国宝展体験レポート」「日曜美術館【国宝を楽しむ】」「文化遺産オンライン

第85回「全日本アイスホッケー選手権大会」



●全日本アイスホッケー選手権大会
※2017年12月15日(金)~17日(日)開催

 アイスホッケーチームの国内最強を決める大会で、今年で85回目を迎える。


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 1930年に日光市で第1回大会が開催され、過去には日本アイスホッケーリーグのチームしか出場できないなどの規定が存在していた。


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 また、毎年正月に代々木第一体育館で開催されていた時期もあり、1万人の大観衆を前に緊張し過ぎて本来のプレーができなくなる選手もいたとか。


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 2003年の第70回大会から、日本アイスホッケー連盟に加盟している高校、大学、社会人のクラブチームなど最大32チームが参加可能なオープン大会となった。


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 アイスホッケーの普及に繋げることを目的としていたが、大差がつく試合が目立ち、2013年の第80回大会より出場枠と出場チーム数が見直された。


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 現時点での出場枠はアジアリーグ4チーム、関東大学アイスホッケーリーグ戦上位2チーム、関西学生アイスホッケーリーグ戦上位1チーム。

 そして、日本アイスホッケー連盟会長杯優勝1チームの合計8チームとなっている。


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 現在の参加チームにおける歴代最多優勝は、王子イーグルスが35回とぶっちりぎりの1位で、2位は日本製紙クレインズの7回。

 3位はH.C.栃木日光アイスバックスで5回となっている。


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●編集後記
 
 野球やサッカーの試合は何度も見に行ったけど、アイスホッケーの試合は初めてで新鮮な感動の連続でした。


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 地元の釧路のアイスホッケーチームということで、昨年くらいから個人的に応援するようになった日本製紙クレインズ。

 最初はアイスホッケーのルールを全く知らなかったけど、今はそこそこ理解できるようになり、今は選手の顔と名前を少しずつ覚えているところです。。


  


 ツイキャスYoutubeでしか見たことがなかったので、最初は選手の大きさやプレーの迫力やスピード感にびっくり。

 体のぶつけ合いも激しく、“氷上の格闘技”といった感じでした。


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 また、栃木からホームリンクの私設応援団が来場しているらしく、アイスバックスの応援が凄まじくて、それに応えるように選手も躍動していたのが印象的でした。


  


 試合も凄い白熱して、乱闘もあって両チームの闘志のぶつかり合いとともに1点を争うシーソーゲームで、残り数秒までどうなるからわからない展開に見入ってしまいました。

 応援が凄すぎるのと選手のプレーに躍動感があり、「3位決定戦に栃木が来てほしくない」との一心で栃木を応援してたけど、東北フリーブレイズが勝ってしまいがっかり。


  


 今日の3位決定戦は、地の利を活かして栃木のホームリンクのような雰囲気になると思われ、クレインズにとって厳しい戦いになると思いますが、頑張ってほしいです――。



【記事引用】「Wikipedia」「全日本アイスホッケー選手権大会

「はこだてクリスマスファンタジー」 20周年



●はこだてクリスマスファンタジー20周年
※1998年12月1日初開催

 今年で20回目を迎える函館の冬のメインイベント「はこだてクリスマスファンタジー」が、2017年12月1日(金)に幕を開けました。


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 函館ベイエリアの海上には、高さ約20mもの大きなクリスマスツリーがそびえ立ち、時間とともに色を変えるイルミネーションに彩られ、その輝きは星空のよう。


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 イルミネーションが煌めく会場や赤レンガ倉庫群、純白の雪、それらを包み込む澄んだ夜気。まるで夢の中にいるようなファンタジックな世界を創り出します。


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 毎日18:00ころには点灯式が行われ、花火が打ち上がります。週末を中心にアーティストライブやタレントステージなどのスペシャルイベントも多く企画されています。


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 日本最古の国際貿易港として様々な国の文化を取り入れ、発展してきた函館は、教会群や和洋折衷の建築物が建ち並び、独自の文化とともに異国情緒溢れる街並みを創り出しています。


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 そして、今年もカナダから大きなクリスマスツリーがやってきます。函館港の海上に浮かぶ美しいツリーの幻想的な姿は、今や函館の冬の風物詩。

 毎日3回、各15分間だけ登場するプレミアム・レッドツリーもあるとか。


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 冬の訪れとともにやってくるツリーの柔らかな光は、きっとあなたの心を温かく照らすことでしょう。


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 カナダ・ハリファックス市の「もみの木」は、函館の街中にも届けられます。

 メーンツリーとともに運ばれてくる「もみの木」は、インフォメーションツリーとしてそれぞれに飾り付けられ、街をクリスマス一色に。


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 クリスマスムードを盛り上げ、函館の美しい街並みをさらにロマンチックに彩るクリスマスツリーをお楽しみください。


  



●編集後記

 初めて「はこだてクリスマスファンタジー」を訪れたのが2012年。
 
 ツリーの巨大さとイルミネーションの繊細な美しさに、初めて函館山からの夜景を見た時に匹敵するような衝撃的な感動を受けたことを思い出します。

 クリファンは、そこから年々グレードアップしていて必ず感動できること間違いなしなので、興味のある方はぜひ一度足をお運び下さい――。


【記事引用】 「2017はこだてクリスマスファンタジー
【画像引用】 「Hakodate Lovers ~いいね!函館~」 「千葉悟

日本製紙クレインズ(釧路)



●日本製紙クレインズ
※1949年創部
  
 北海道・釧路を本拠地とするアイスホッケーチーム。
 
 クレインズの前身は十條製紙アイスホッケー部で、日本や中国、韓国、ロシアのクラブチームが参加している「アジアリーグ」に所属。
 
 ホームリンクは、日本製紙アイスアリーナ。
 
 
●市民公募でクレインズに

 クレインズは、1949年に十条製紙アイスホッケー部として十條製紙釧路工場に誕生し、1974年の第9回日本アイスホッケーリーグから加盟。
  
 リーグ加盟後は低迷期が長く続き、古河電工と「最下位を毎年交代で分担しよう」と本気とも冗談ともつかない話があったとか。
 

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 その後、1993年4月に十條製紙と山陽国策パルプの合併で企業名が日本製紙となり、愛称は市民公募で“クレインズ”に。
 
 大空を優雅に力強く飛翔する丹頂鶴のように、釧路を代表する強く誇り高いチームになってほしいという願いが込められている。


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 クレインズは、アジアリーグの2003-2004シーズンで、チーム初のビッグタイトルとなるアジアリーグ初代チャンピオンに輝いた。
 
 以降、全日本選手権を7回、アジアリーグを4回制している。 
   

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 アジアリーグの2013-2014シーズンでは、日本製紙アイスアリーナでプレーオフを制し、初の地元優勝を果たしています。


  



●アジアリーグ
 
 中国、韓国、ロシア、日本の4カ国のアイスホッケー連盟が参加して行っているプロクラブチームの国際リーグ戦「アジアリーグ」。
 
 前身は、1966年から2004年まで存在した日本アイスホッケーリーグ。
 

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 2003-2004シーズンから、日本リーグとは別に韓国のハルラを加えた5チームで「アジアリーグ・アイスホッケー」を初開催。

 北米2カ国をまたぐNHLに習ってアジア各国の強豪チームを集結させた大会を目指し、2004-2005シーズンからアジアリーグに3チームが新規加盟して規模が拡大。


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 それに伴って、日本アイスホッケーリーグは38年の歴史に幕を閉じることになった。
 
 アジアリーグはレギュラーリーグとプレーオフから成り、レギュラーリーグで5位以内に入るとプレーオフ出場権が与えられる。
 

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 プレーオフのファーストラウンドは、3戦2勝先勝方式。
 
 セミファイナル、ファイナルは5戦3勝先勝方式となり、プレーオフで優勝したチームがアジアリーグ優勝となる。
 

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●参加チーム

 日本は、王子イーグルス、東北フリーブレイズ、H.C栃木日光アイスバックス 、日本製紙クレインズの4チームが参戦。
  
 海外からの参戦チームは4チームで、韓国からアニャン・ハルラ 、High1 、デミョン・キラーホエールズの3チーム、ロシアからサハリンが参加している。
  

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 中国からチャイナ・ドラゴンも参加していたが、北京冬季五輪へ向けた強化策でロシアリーグに参加することになり、2017-2018シーズンから不参加となった。


【王子イーグルス】

 イーグルスは1925年設立で苫小牧を本拠地し、主要獲得タイトル数は51回(日本リーグ13回、アジアリーグ2回、全日本選手権36回)を誇る。
 
 キャプテンでエースの久慈選手や若手注目株として日本代表にも名を連ねる20歳のFW中屋選手を中心とする常勝軍団。


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【東北フリーブレイズ】
 
 フリーブレイズは、2009年に活動休止をしたSEIBUのメンバーを中心に2008年に設立されたチームで、若林クリス監督はSEIBUの監督。 
  
 2017年12月に行われた全日本アイスホッケー選手権大会では、念願の初優勝を飾った。


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【H.C.栃木日光アイスバックス】

 アイスバックスは、1925 (大正14) 年に創部した古河電工アイスホッケー部が前身。1999年1月の廃部を受け、1999年8月に日本アイスホッケー界初となる市民クラブとして誕生した。
 
 日本人初のNHLプレーヤーのGK福藤選手や日本代表のFW古橋選手など攻守に充実したチーム。
 

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【アニャン・ハルラ】
 
 ハルラは、1994年12月に創設して以来、国内リーグに参戦していたが、2003年に始まったアジアリーグへ。
 
 2010年に、日本勢以外で初めてチャンピオンとなった。
 
   
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【High1】
  
 High1は、平昌五輪招致への気運向上を目的に、2004年にカジノやリゾートホテル等を運営するカンウォンランドがチームを設立。
  
 初年度は国内リーグだけの参戦だったが、翌年からは外国人選手も獲得しアジアリーグに加盟した。
  

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【キラー・ホエールズ】
 
 キラーホエールズは、2016-2017シーズンから新規加盟。
 
 2018年の平昌五輪の成功を促進するため、韓国を含むアジアリーグ全体のレベルアップに貢献することを目指す。


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【サハリン】
 
 サハリンは、2013年にロシア極東のユジノサハリンスクを拠点として創設し、翌年からアジアリーグに参戦。
  
 どの選手もスキルが高い上、サイズの大きな選手が多く、旧ソビエト時代から続くロシアスタイルがベース。
 

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●アイスホッケーのルール
 
 試合は、第1ピリオド、第2ピリオド、第3ピリオドに分けられ、1ピリオドは20分間で15分間のインターバルを挟みます。
 
 氷上にいるのはFW3人、DF2人、GK1人の計6人で、試合中の選手交代は何回でもOK。
 
 第3ピリオド終了間際に何としても得点がほしい時は、GKを下げてFWを入れ、ゴールをがら空きにした6人攻撃を行う時もあります。
 

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【コート】
 
 コート内には、センターサークルとその周囲に4つ、両陣営のゴール付近に各2個 (4つ) の計9つのフェイスオフ・スポットがあります。
 
 ※ゴール付近の円の名称は、エンド・フェイスオフ・サークル
  
 反則やその他の理由で試合が中断された場合、審判がパックを近場のフェイスオフ・スポットに落とし、試合が再開されます。


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 センターラインから左右のブルーラインまでの間の空間をニュートラルゾーンといいます。
 
 ブルーラインからゴールラインまでは、自陣側がディフェンディングゾーン、敵陣側はアタッキングゾーンといいます。
 
 リンク中央に半径4.5mのサークルがあり、ここで試合開始(フェイスオフ)が行われます。
 

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【反則】
 
 審判から反則をとられた選手は、決められた時間の間、試合から外れてぺナルティボックスに入らなければなりません。
 
 その間、そのチームは少ない人数で戦うことになり、人数の多いチームの攻撃を“パワープレー”といい、大きな得点チャンスとなります。
 
 反対に、人数が少ないチームの攻撃は“キルプレー”といいます。ちなみに、パワープレーはPP、キルプレーはPK (Penalty Killing) と略されることもあります。
 

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 なお、よく起こる反則として「アイシング」というものがあります。
  
 Aチームの選手がセンターラインより手前 (自陣内) から放ったパックが、誰にも触れずにそのまま相手側のゴールラインを越えた場合に適用されるもので、Aチーム側の反則となります。
 
 その場合、Aチーム側のディフェンディングゾーンでのフェイスオフによってプレーが再開することになります。

 キルプレー時はこのアイシングが適用されないため、ディフェンス側はクリアし放題になります。
 
 また、アタッキングゾーンのブルーラインより後ろにパックを持たない状態で攻撃側の選手が入ると「オフサイド」となって反則になります。


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【延長戦】
 
 第3ピリオド終了時に同点の場合、5分間の3on3形式のサドン・ビクトリー方式(先に得点したチームが勝ち)による延長戦に入ります。
  
 延長戦でも勝負がつかなった場合、ゲーム・ウィニング・ショット (Game Winning Shot / GWS) が行われます。
  
 サッカーのPKとほぼ同じ要領で、両チーム1人ずつのショットが交互に5回行われます。5回のショットチャンスでのゴール数が多いチームに1得点が与えられて、勝利となります。
 
 GWSでも勝敗がつかない場合、1人ずつのサドンデス方式に移行します。
 

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●つるっ子マニア

 日本製紙クレインズを応援している私設サポーター「つるっ子マニア」。


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 日本製紙工場に20年以上勤めている方が代表を務め、試合会場でのクレインズへの声援や、クレインズ選手とのイベントなども開催している。
 

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 会場では、市内の高校のチアリーディング部が応援する日や、「鶴姫DAY」という女性全員無料になる日などもある。


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●日本製紙クレインズ選手名鑑


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●編集後記

 地元・釧路のアイスホッケーチームということで、昨年から個人的に応援するようになった日本製紙クレインズ。
 
 そんな中、クレインズの試合を東京でも見れるということで、先日の全日本アイスホッケー選手権大会で生まれて初めてアイスホッケーの試合を観戦。
 
 ツイキャスYoutubeでしか試合を見たことがなかったので、最初は選手の大きさやプレーの迫力、スピード感にびっくり。
 
 特に、スティック同士がぶつかる「バーン!」という音や、選手同士が壁にぶつかる「ドーン!」という音が凄い!
 
 体のぶつけ合いも激しく、“氷上の格闘技”といった感じでした。。
 
 また、スティックとパックがぶつかる「カーン!」という音は、バットとボールがぶつかる時の音にも似ていて、選手が高速で滑走していくシーンとともに爽快感があります。

 映像と実際のリンクでの雰囲気がこれほど違うスポーツも珍しく、実際にリンクに行って試合を観戦されることをオススメします――。

 ※チケット情報はこちら


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【記事引用】「アジアリーグアイスホッケー」「はばたけクレインズ」「アイスホッケールールまとめ
【画像引用】「CRANESだよ全員集合!」 「Breakawayアイスホッケー情報誌

 

「水木しげる」ゆかりの地(調布)



●「水木しげる」ゆかりの地(調布)

 妖怪漫画の第一人者で「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などを発表し、2015年に93歳で亡くなった水木しげる

 第二の故郷・調布にある鬼太郎スポットをご紹介――。


●天神通り商店街

 調布駅北口から続く大通りを少し入ったところにある商店街。


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 商店街の入り口には「天神通り商店街」の看板が立っており、看板の上に座っている鬼太郎が出迎えてくれます。


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 近くに水木先生が自宅から通っていた事務所があり、この商店街をよく散歩していたそうです。

 
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 道路脇やベンチ、街路灯の上など、随所に鬼太郎や目玉おやじ、ぬりかべなどの妖怪が潜んでおり、全部で7体いるとか。


       【鬼太郎&目玉のおやじ】
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【ねずみ男】
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【猫娘&一反もめん】
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【ぬりかべ】
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 商店街の入口を通り過ぎ、10mほど先に行ったところに「妖怪ポスト」があるらしい。。



●布多天神社

 天神通り商店街を進み、甲州街道を渡ると布多天神社が見えてきます。


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 この神社は、鬼太郎が住んでいる林として「墓場鬼太郎」第5巻の『おかしな奴』という話に登場しました。


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 境内の奥にはこんもりとした雑木林が広がっていて、確かに鬼太郎が潜んでいそうな雰囲気です。


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 布多天神社は、延長5年(927年)に制定された延喜式に名を連ねる古い神社で、社伝によれば約1950年前に創建されたといわれています。


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 ゲゲゲの鬼太郎おみくじもあり、妖怪たちがあなたの運勢を占ってくれます。


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●鬼太郎茶屋

 深大寺の境内に2003年10月にオープンした「鬼太郎茶屋」。


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 ゲゲゲの鬼太郎の物語の根底に流れるテーマは“自然との共生”。人や妖怪だけでなく、動物や木々の草花たち地球に存在するすべての生物との共存が表現されています。


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 1階の妖怪喫茶コーナーでは、目玉おやじの栗ぜんざい、ぬり壁の味噌おでん、妖怪抹茶セットなどが食べれます。


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 妖怪グッズも所狭しと並べられ、懐かしい駄菓子屋の雰囲気になっています。2階は妖怪ギャラリーになっていて、100体以上のフイギュアが妖怪世界を感じさせます。


       【店内風景①】
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       【店内風景②】
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【店内風景③】
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【店内風景④】
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【店内風景⑤】
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       【店内風景⑥】
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【店内風景⑦】
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【店内風景⑧】
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 木の上には鬼太郎ハウスがあり、中には鬼太郎の姿が。店の前には、鬼太郎とねずみ男の等身大の置物もあります。


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 鬼太郎の登場人物がペイントされた車なども置いてあります。


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●水木しげるの自宅とお墓

 調布の事務所から徒歩30分くらいの所にある水木しげるさんの自宅。


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 漫画でも家の外観が紹介されており、散歩中に空を見つめながらボーッと考え事をしていることが多く、目が合うと「ニコッ」と笑っていたとか。


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 近くのお寺には水木しげるさんのお墓があり、鬼太郎とねずみ男がお墓を守っています。


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●編集後記

 ゲゲゲの鬼太郎に大ハマりしていた小学校時代。

 「いつか、鳥取県の水木しげるロードに行ってみたい」と思っていたら、東京にも水木しげる先生や鬼太郎ゆかりの場所があることを最近知って、さっそく訪問!

 少年時代に読んでいた鬼太郎の単行本が描かれていた事務所やご自宅、墓前にも手を合わせることができて感無量でした――。



【記事引用】「水木しげる氏ゆかりの地、調布市をゲゲゲ散策!」「水木しげると調布あれこれ
      「Wikipedia」「みんトレ

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