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くしろ港町「釧ちゃん食堂」

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●釧(せん)ちゃん食堂
※2016年2月12日オープン

 くしろ水産センターの1階にある美味しい魚定食や海鮮丼を味わえる食堂。





 3階には、釧路の水産業の実態を知るための展示施設「マリントポスくしろ」があり、釧路の漁業を紹介するジオラマやビデオ展示などがあります。


     



●メニュー





【ほっけ定食(半身)】


     
     あまりのでかさにびっくり!
     

めちゃくちゃジューシーなのに後味はさっぱり




【糠にしん定食】



分厚く身がホコホコしている糠にしん




【いわし刺身定食】



肉厚で脂が乗っているいわしの刺身




●夕日(釧路副港)

 水産センターの前には釧路副港が広がっていて、綺麗な夕日が観れます。





       





       



・住所 釧路市浜町3−18
    ※くしろ水産センター1階

・営業時間 7:00~15:00
      ※定休日 日曜・祝日



●編集後記

 素泊まりで釧路のホテルに宿泊して、「美味しい朝ご飯を食べたい!」と思ったら、ぜひ足を運んでみて下さい。

 地元民や観光客にも絶賛されているお店なので、間違いない美食体験ができるでしょう――。


【記事引用】「マリントポスくしろ」「食べログ」「釧ちゃん食堂

 

謹賀新年2018

石川啄木の歌碑(釧路)

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●早逝の天才歌人

 二十六歳の若さで病没した天才歌人・石川啄木
 
 岩手に生まれ、北海道の流浪の旅を経て東京で生涯を終えるまで、詩歌、小説、日記、評論の分野で多くの作品を遺しました。


●釧路時代の啄木

 啄木が釧路駅に降り立ったのは、1908 (明治41) 年1月21日の夜。

 啄木が二十二歳の時のことで「さいはての駅に下り立ち雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき」という歌は有名です。





 釧路新聞の編集長として七十六日間滞在し、紙面上で時事評論、随筆、詩、論文、短歌と相当な数の作品を残しています。



●啄木通り (南大通)

 南大通にある啄木通りには、啄木歌碑が24基建っていて、旧釧路新聞社跡、啄木下宿跡、料亭跡など啄木ゆかりの史跡も点在しています。






歌碑①】(旧釧路停車場跡)

 浪淘沙 (ろうとうさ)
 ながくも声をふるはせて
 うたうがごとき旅なりしかな


     


 交流プラザさいわいのパレスボウル側駐車場脇に建っている歌碑。

 釧路停車場の開業は、1901 (明治34) 年7月。1917 (大正6) 年11月まで使われ、手前の市役所横通りは当時の線路跡。

 駅舎はNTT構内に北大通に面して建っていたそうです。


     



歌碑②】(南大通二丁目)

 北の海
 鯨追う子等 (ら) 大いなる
 流氷来るを 見ては喜ぶ

 ※当時の釧路の海岸にクジラが来ていたようです

     



歌碑③】(小奴碑)

 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 かなしみの滓(おり)を啜(すす)るごとくに

 小奴(こやっこ)といひし女の
 やはらかき
 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり

 舞へといへば立ちて舞ひにき
 おのづから
 悪酒(あくしゅ)の酔いにたふるるまでも


 ※啄木が贔屓にしていた芸妓の小奴が、後年に「旅館大近屋」の女将をやっていた場所






歌碑④】(旧釧路新聞社跡)

 十年まへに作りしといふ漢詩を
 酔へば唱へき
 旅に老いし友


     


 ガソリンスタンド (シェル石油) の事務所前にある歌碑で、ここに啄木が釧路時代に働いていた旧釧路新聞社の建物があった。

 啄木が来釧する前日の明治41年 (1908年) 1月20日に完成し、1965年頃まで現存していました。






【歌碑⑤】(港文館)

 さいはての駅に下り立ち 
 雪あかり 
 さびしき町にあゆみ入りにき





 啄木が釧路停車場に降り立った時の心情を詠んだ歌で、小奴が揮毫。

 旧釧路新聞社の社屋を原寸大で復元し、啄木資料館として無料開放されている港文館の前に建つ啄木のブロンズ像脇に歌碑板があります。  





 港文館には、啄木が通った料亭の火鉢や徳利や、小奴が揮毫した歌の原紙などが展示されています。


     



歌碑⑥】(釧路信金南支店前)

 神のごと
 遠くすがたをあらはせる
 阿寒の山の雪のあけぼの

 ※啄木が釧路を去る朝、船上で詠んだ歌






歌碑⑦】(南大通四丁目)

 わが室 (へや) に女泣きしを
 小説のなかの事かと
 おもひ出づる日

 ※啄木がある女性をふった後、仲立ちをした女性がその女性に悪態をつかれ、啄木の部屋で泣いたことを詠んだ歌


     



歌碑⑧】(啄木下宿の地跡)

 こほりたるインクの罎 (びん) を 
 火に翳 (かざ) し 
 涙ながれぬ ともしびの下

 ※勤務後、下宿先の冷え切った部屋で凍ったインクを火鉢にかざすが溶けず、寒さと単身赴任の悲哀が身に沁みて泣いたという歌


     


 啄木が下宿した建物はシーサイドホテルの裏側付近にあり、啄木が住んでいたのは2階の右端の部屋でした。






【歌碑⑨】(啄木ゆめ公園)
 
 さいはての駅に下り立ち 
 雪あかり 
 さびしき町にあゆみ入りにき
 
 ※啄木が釧路停車場に降り立った時の心情を詠んだ歌






歌碑⑩】(休み坂登り口)

 山に居て
 海の彼方の潮騒を
 聞くとしもなく君を思ひぬ


     



啄木歌碑⑪】(南大通八丁目)

 三味線の絃のきれしを
 火事のごと騒ぐ子ありき
 大雪の夜 (よ) に

 ※啄木が贔屓にしていた芸妓の市子のことを詠んだ歌といわれています


     



啄木歌碑⑫】(米町公園)

 しらしらと氷かがやき
 千鳥啼 (な) く 
 釧路の海の冬の月かな

 ※啄木生誕50周年を記念して1934年に建立された歌碑で、釧路の啄木歌碑の中では一番古い


     



【石川啄木離釧の地】

 啄木が1908 (明治41) 年4月5日に東京へ向けて釧路を出航した場所。


     


 啄木が酒田川丸に向かう筏に乗り込んだのは、近くにある濱谷建設の敷地内付近で、かつては砂浜だったのだそう。


     



歌碑⑬】(米町二丁目)

 春の雨夜の窓ぬらし
 そぼふれば
 君が来るらん鳥屋 (とや) に鳩なく
 
 ※雪の上に雨が降る静かな夜に、小奴からの手紙の返事を書いていた時の様子を詠った歌






歌碑⑭】(米町三丁目)
  
 顔とこゑ
 それのみ昔に変らざる友にも会ひき
 国の果にて






歌碑⑮】(弁天ケ浜)

 さらさらと氷の屑が
 波に鳴る
 磯の月夜のゆきかへりかな
 
 ※3月中旬の夜、冷たく凍った釧路の砂浜を歩いた時のことを詠んだ歌


     


 歌碑の向こうは弁天ケ浜という海岸になっています。今は侵食によって無くなっていますが、昔は海岸に砂浜が広がっていたそうです。






歌碑⑯】(弥生二丁目)

 花の下
 たもとほる子は行きずりの
 袖の香りに物言はせけり






歌碑⑰】(米町三丁目)

 酒のめば悲しみ一時(いちじ)に湧き来るを
 寝て夢みぬを
 うれしとはせし






歌碑⑱】(本行寺)

 一輪の紅き薔薇の花を見て
 火の息すなる
 唇をこそ思へ

 ※本行寺での歌留多 (かるた) 会で出会った梅川操という女性を詠んだ歌


     


 本行寺の境内にある啄木資料館には、啄木も興じていた本行寺での加留多会の様子がミニチュアで紹介されています。






歌碑⑲】(米町一丁目)

 出しぬけの女の笑ひ
 身に沁みき
 厨に酒の凍る真夜中






歌碑⑳】(浦見八丁目)

 よりそひて
 深夜の雪の中に立つ
 女の右手のあたたかさかな

 ※この界隈は昔料亭街で、女とは小奴のことだといわれている 






歌碑㉑】(浦見八丁目)

 葡萄色 (えびいろ) の
 古き手帳にのこりたる
 かの会合の時と処かな


     



しゃも寅の井戸

 江戸時代以前から使われていた井戸水。





 明治時代に近くに料亭「しゃも寅」があり、啄木が料亭での酔いをこの井戸の水を飲んで醒ましたといわれています。






歌碑㉒】(料亭しゃも寅跡)

 火をしたふ虫のごとくに
 ともしびの明るき家に
 かよひ慣れにき

 ※料亭に通う自分のことを詠んだ歌


     



歌碑㉓】(浦見八丁目)

 波もなき二月の湾に
 白塗 (しろぬり) の
 外国船が低く浮かべり

 ※休み坂や舟見坂から見た景観
 




歌碑㉔】(南大通七丁目)

 西の空雲間を染めて
 赤々と
 氷れる海に日は落ちにけり

 ※雲間を染め、冬の海を赤々と照らしながら沈んでゆく夕陽を詠んだ歌






歌碑㉕】(喜望楼跡)

 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 悲しみの滓(おり)を啜(すす)るごとくに

 
     


 料亭・喜望楼(きぼうろう)があった佐野碑園内にある歌碑。





 喜望楼は道東一の料亭といわれ、モダンな洋風建築で12人の芸妓を抱えており、啄木が来釧して初めて酒と芸妓を知った場所でもある。






●編集後記

 「清貧で知的な好青年」というイメージとは裏腹に、借金は踏み倒す、妻子をよそに毎晩料亭通いに明け暮れるなど、自由奔放に生きた啄木。
  
 女にだらしない、お金にだらしない、自分勝手という“啄木三悪”と呼ばれる一面を持ちながら、哀愁を誘う繊細な歌を遺した啄木。
  
 ひと言でいうと、破天荒な天才歌人ということでしょうか。そんなギャップも、時代を超えて人々を魅了し続ける理由の一つなのかもしれません――。



【記事引用】「石川啄木 漂泊の歌人」「釧路愛好会 ~くしろよろしく~

啄木・雪あかりの町・くしろ

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●啄木・雪あかりの町・くしろ
※2018年1月20日(土) 開催

 釧路市民の有志でつくる「釧路Yukiアートプロジェクト」が、毎年1月末に南大通周辺で開催している石川啄木の来釧記念イベント。

 石川啄木が初めて来釧した1908 (明治41) 年1月21日にちなんで、毎年1月21日の週の土曜日に開催されています。

 啄木は釧路停車場に降り立った心境を「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」と詠み、釧路に76日滞在。釧路新聞社の編集者として辣腕をふるいました。

 そんな啄木の来釧を記念して、毎年1月21日の週の土曜日に手作りの「ワックスボール」や紙袋ランタンなどを並べてろうそくを灯し、雪あかりで町を幻想的に彩ります。







●港文館で点灯式

 イベントは、港文館での「釧路啄木会・雪あかり講演会」から始まります。

 同館では、詩吟講演、啄木・一人百首歌留多会、啄木の歌碑を写し取る拓本体験会などが行われ、無料配布のコーヒーやジュースを飲みながら「入選短歌展示」も楽しめます。

 そして、17時からは、港文館前広場で恒例の「啄木・小奴の点灯式」。

 本部が置かれる橋南西会館では、「啄木らーめんカフェ&たくぼくカフェ」がオープン。フォトコンテストも開催され、公開審査で来年のポスター写真の選定が行われます。







●鉄砲汁や甘酒の無料配布

 南大通では、毎年完売のせんべい汁やおしるこのほか、鉄砲汁や甘酒の無料配布も。

 セブンイレブン釧路南大通駐車場の「あったか屋台」では、たこ焼きやラーメン、港文館前広場の「ゆめこい一杯屋台」では日本酒や焼き鳥なども販売されます。

 そして、釧路市内の小学校や企業の協力で作られた「キャンドルアート」と「紙袋ランタン」が、雪あかりの町を彩ります――。








【ワックスキャンドル】















【紙袋ランタン】









       

      

 
(photo by atsushi yokoyama
 
 
●編集後記

 「啄木雪あかりの町くしろ」のイベント発起人は、釧路Yukiアートプロジェクトの代表で市内在住のNPO法人職員・川村純一さん。

 彼は、「小樽雪あかりの路」を訪れた際にワックスボールの美しさに感動し、小樽のイベント関係者に作り方を教えてもらうなどして、2013年に個人でスタートしたとのこと。

 今まで釧路に雪あかりのようなイベントがなかったの不思議だけど、釧路の冬の風物詩として成長していってほしいものです――。

 

「小樽雪あかりの路」運河会場の様に、釧路川に浮き球キャンドルを浮かべてほしい...





【記事引用】「ゆめこいブログ」「どうしんウェブ
【画像引用】「PhotoDiary ~北海道の風景写真ブログ~

アジアリーグアイスホッケー「ジャパンカップ2018」

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●ジャパンカップ2018
※2018年1月6日(土)~2月25日(日) 開催

 アジアリーグに所属する国内チームの王子イーグルス東北フリーブレイズH.C.栃木日光アイスバックス日本製紙クレインズの4チームで争うカップ戦。





 今年から初開催される大会で、試合方式はホーム&アウェー方式の6回戦総当たりで、計36試合が行われる。

 開催地は北海道が日本製紙アイスアリーナ(釧路)、月寒体育館(札幌)、白鳥アリーナ(苫小牧)の3箇所。





 本州は、テクノルパーク八戸(八戸)、日光霧降アイスアリーナ(日光)、ダイドードリンコアイスアリーナ(西東京)、アクアドームくまもと(熊本)。

 開催期間は2018年1月6日(土)~2月25日(日)で、試合日程はこちら






●札幌で開幕

 ジャパンカップは、2018年1月6日(土)、月寒体育館(札幌)で「王子イーグル VS 日本製紙クレインズ」のカードで開幕。

 チケット情報はこちらを参照下さい。


      



●編集後記

 西東京のダイドードリンコアイスアリーナで行われる関東でのジャパンカップの試合。

 観に行きたいけど、電車を4回も乗り換えなければならず、自宅から会場まで2時間以上もかかるだけでなく、往復で1600円以上かかってしまう交通費も痛い。

 来年から、全日本アイスホッケー選手権大会も含めて、アクセスが良い新横浜スケートセンターでの開催にしてくれないだろうか。。


【記事/画像引用】「アジアリーグアイスホッケー ジャパンカップ2018」「日本製紙クレインズ

京都五社巡り

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●京都五社巡り

 京都は方角を司る「四神」が守護する土地として造営されたため、四神相応といわれます。

 北の玄武が上賀茂神社、東の青龍が八坂神社、南の朱雀が城南宮、西の白虎が松尾大社、そして中央に鎮座する平安神宮

 京の都を守るこの5つの神社を巡拝して御朱印を集めることを「京都五社巡り」といいます。


●八坂神社

 平安時代以前の656(斉明天皇2)年の創建と伝えられている神社。





 祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神とし、祇園神社、祇園社などと呼ばれていましたが、明治の神仏分離によって八坂神社と改められました。

 現在の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。


      


 四条通と東大路に面しているこの楼門は表門ではなく、南楼門が表門となります。

 京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる京都三大祭の一つ「祇園祭」は八坂神社の例祭。





 863(貞観5)年から疫病の流行が続き、869(貞観11)年に当時の国の数「66」の矛を立て、八坂神社から神泉苑へと行列したことが祇園祭の始まりと伝えられます。

 本殿の下には「龍穴」と呼ばれる井戸があり、神泉苑に通じているといわれています。


      



●平安神宮

 平安神宮は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に遷都の親神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。





 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。

 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。

 そんな悲惨な状況下で京都を救ったのは、京都復興に対する市民の情熱と全国の人々の京都に対する思い入れでした。





 数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。

 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。





 社殿は、平安京の中心施設である朝堂院を約8分の5に縮小して復元されています。

 平安神宮は、千年以上も栄え続けた雅やかな京都や、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。






●上賀茂神社

 秦氏の才女の玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきました。





 持ち帰り、軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産みました。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷(わけいかずち)となりました。

 この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社といいます。





 神社は京都でも最も古い神社の一つで、雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めました。

 平安時代初期から400年にわたって、伊勢神宮の斎宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきた歴史もあります。

      



●松尾大社

 松尾大社は大宝元年(701)に建立された社で、酒づくりの神様として有名。





 境内に足を入れると目を引く山のように積まれた酒樽は、各地の酒造業者が奉納したもの。亀の井とよばれる湧き水を元水に加え酒を醸造すれば腐らないという言い伝えがあります。

 4月下旬には楼門から本殿の間の一ノ井川沿いなど境内一円に3,000本もの山吹が咲き誇り、ライトアップも行われます。





 また、それぞれ趣の違った庭が集まる「松風苑」があります。

 これらの庭園で用いられた200余個の石はすべて徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)で、1970年に着工、19755月に完成しました。







●城南宮

 794(延暦13)年の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建。





 城南宮とは、平安城の南に鎮まるお宮の意味。

 平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮が造営されて院政の拠点となると、城南宮は離宮の鎮守として一層崇められました。





 2k㎡にも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり、歌会や雅やかな宴や船遊びも行われ、王朝文化が花開きました。


 城南離宮の御殿は、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にも充てられ、上皇や貴族は方位の災厄から無事であるよう祈願されました。





 このように、城南宮の方除の御神威は平安時代の昔より顕われています。

 江戸時代には「大日本不易太大神宮」と尊称され、城南祭では、3基の神輿が氏子区域を巡行、周囲の村々に住む人の一番の楽しみになっていました。





 また、明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まりました。

 そのため、旧幕府軍に勝利した薩摩の軍勢は「城南宮の御加護によって勝利を得られた」と御礼参りに訪れたといいます。





 こうして1200年の歴史を重ねてきた城南宮は「方除の大社」と仰がれ、全国の人々から、日々の暮らしの守り神と、篤く尊崇されています。
 


●編集後記

 観光名所以外の京都の街の色々な表情を見れたり、京都という街の大きさを体感することができるので、レンタサイクルでの巡礼もオススメです。

 なお、時間的には休憩なしだと2時間半で回ることができます。

 ちなみに、平安神宮~上賀茂神社は鴨川の河川敷を走るので心地良いけど、上賀茂神社~松尾大社は坂道が続くのでちょっとキツイです。。

 
   
   
    五社めぐり四神色紙(1000円)、ご朱印(各300円)



【記事引用】「京都:祇園八坂神社」「平安神宮」「方除けの大社 城南宮

「西郷隆盛の史跡」

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●西郷隆盛の史跡

 明治維新150周年を迎え、2018年1月7日からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まるということで、鹿児島にある西郷隆盛の史跡を紹介します――。


●西郷隆盛の銅像

 西郷隆盛没後50年祭記念として、鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけて製作した銅像。





 わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8メートルの堂々たるモニュメントで、1937(昭和12)年5月23日に完成しました。


      


 本体は5.76mで土台が1.21m、築山は7.27mとなっています。


      



●西郷南洲翁宅地跡

 西郷隆盛が29歳の時に移り住んだ場所。ここに来る前々年、祖父、父、母と相次いで失い、加治屋町の屋敷を売って借金の返済に充てたといわれています。





 この屋敷で弟の吉次郎や従道の結婚式を行い、妹が嫁ぎ、西郷自身も1865年にイト婦人と結婚しました。






●私学校跡

 1873年10月、征韓論に破れ、下野して鹿児島に帰って来た西郷隆盛は農夫として静かに暮らそうとしましたが、西郷を慕って帰郷した若者たちに祭り上げられ、私学校を設立。





 明治9年(1876)末頃は県内のすべての郷内に設立され、青少年の多くが学びました。西南戦争では私学校周辺は激戦地となり、当時の弾痕跡が今も石塀に残っています。





 私学校は年々巨大化し、反政府の気運を高まらせ、ついに過激生徒が暴走。政府火薬庫の襲撃によって西南戦争をを引き起こし、私学校はわずか4年でその歴史を閉じたのです。
 





●西郷隆盛洞窟

 西南戦争の時、西郷隆盛が私学校の幹部達とともに過ごした洞窟。





 薩軍と政府軍との城山攻防戦という西南戦争の終盤戦において、政府軍の城山包囲網の中、西郷隆盛はこの洞窟で5日間過ごしました。

 



 西郷が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として、1974年に鹿児島県の史跡になりました。現在の洞窟の規模は、奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5m。
 




 洞窟を出た時の西郷の出立ちは、妻のイトが縫ったしまの単衣に白い兵児帯。この直後、7ヶ月にも渡る大乱の最期を迎えることになりました。






●西郷隆盛終焉の地

 鹿児島市城山町にある西郷隆盛が命を絶った場所。  





 1877年9月24日、城山洞窟を出て300mのところで政府軍の銃弾を受けた西郷隆盛は「晋どん、もうここらでよか」というひと言とともに、私学校の幹部の介錯で自害しました。





 薩長同盟や江戸城の無血開場など大局を見据えた沈着冷静な歴史的大判断を行い、明治維新に大きく貢献した西郷隆盛。49歳の若さでした――。





    
●西郷公園

 鹿児島空港から徒歩3分という好立地にある公園。





 薩摩藩の別邸を彷彿とさせる門構えで、西南戦争を描いた53枚の錦絵をはじめ、西郷隆盛や明治維新に関する資料、軍服にまつわるエピソードなどが展示されています。





 西郷公園の特徴はなんといっても、人物像として日本一の大きさを誇る西郷隆盛像。





 鹿児島空港を見据えるように立つ西郷さんの銅像は、鹿児島に来られる方を出迎え、そして見送るようにそびえたっています。 






●編集後期

 2005年に高知、2008年に山口、そして2018年に、鹿児島を訪れて、幕末維新の立役者となった三大雄藩を制覇することができ、幕末ファンとしては感慨深い。。

 日本という国のために、犬猿の仲だった長州藩と薩長同盟を結ぶという私怨を超えた大局的な歴史的判断を下した西郷隆盛の度量の大きさには、敬服するばかりです――。


【記事引用】「維新のふるさと 鹿児島市」「西郷隆盛洞窟」「西郷隆盛終焉の地」「西郷公園

  

個展「松本直樹 道東を想う」(釧路)

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●個展「松本直樹 道東を想う」

【期間】 2018年1月29日(月) ~ 2月9日(金)

【会場】 釧路町公民館(入場無料)
     ※釧路郡釧路町河畔7丁目52番地1

【内容】 道東風景をアクリル画や水彩画で描いた絵画作品の展示

【作者紹介】

 1984年、釧路市生まれ、釧路町育ち。
 2003年釧路北陽高校卒業後、札幌デザイナー学校入学
 2006年初個展。画家としての活動はアクリル画がメインとなる。
 この他、漫画家としても活動する。
 過去漫画連載2本。
 美術団体には所属せず、孤高の画家として活動を続ける。
 個展スポンサーも随時募集中。


【主な作品】

「日沈み行く釧路湿原2017」 F4号(アクリル画)



「達古武湖の夏2017」 2Lサイズ(水彩画)



「釧路川2017秋」 2Lサイズ(水彩画)



「初冬の春採湖」 F0号(アクリル画)



「釧路に沈む夕日」 F4号(アクリル画)



「月夜の摩周湖2017」F6号(アクリル画)




【記事/画像引用】 「松本直樹」「ナオキブログ」「釧路愛好会~くしろよろしく~
 
 

SL冬の湿原号

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●SL冬の湿原号
※2018年1月27日(土)~2月25日(日)運行

 JR北海道が冬季限定で、釧路駅-標茶駅間で運行しているSL列車。





 2000年1月8日から運行しており、白銀の釧路湿原を豪快な蒸気の煙を上げて、汽笛を鳴らしながら一日一往復しています。


        


 車内では、釧路湿原やタンチョウなどのガイドを楽しめ、売店で販売されているスルメをダルマストーブで焼いて食べることもできます。






●編集後記

 国交省から要請された自動列車停止装置(ATS)の取り付けが技術的に難しく、函館やニセコなどのSLが廃止になり、道内唯一のSLとなった「SL冬の湿原号」。

 白銀の釧路湿原を力強く疾走するSLに乗りたい方、見たい方は釧路へGO!






【画像引用】「釧路観光コンベンション協会
【記事引用】「SL冬の湿原号

majiro presents 誰がために唄う尾崎の調べ〜15一会(イチゴイチエ) 〜

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●majiro presents 誰がために唄う尾崎の調べ ~15一会(イチゴイチエ)~
※2018年4月22日(日)開催 / 池袋LIVE IN ROSA

 尾崎豊を愛する者たちが尾崎豊を愛する者たちに送るライブイベント。

 今回は、尾崎のバックバンド「Heart Of Klaxon」から、ギターの江口正祥さんとサクソフォンの阿部剛さんが特別出演。

 尾崎豊の後ろで尾崎の音楽を奏でていた彼らのプレイを生で聴けるチャンス!





【会場】池袋LIVE IN ROSA
    東京都豊島区西池袋1丁目37−12 ロサ会館

【時間】開場 15:30/開演 16:00

【チケット】

 <一般>
 前売券3,000円 (+1ドリンク料金500円)
 当日券3,500円 (+1ドリンク料金500円)

 <高校生まで>
 前売券2,000円 (+1ドリンク料金500円)
 当日券2,500円 (+1ドリンク料金500円)

 ※チケットのご予約はこちら





【出演】(※敬称略)
 
 江口正祥(元Heart Of Klaxon・ギター)
 阿部剛(元Heart Of Klaxon・サクソフォン)

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 Rest of the Stories(vo.りょ〜た)
 とりあえず生とメケメケビブーティ(vo.しんに)
 ゆうや
 jin☆


 
●「Beat the Emotion~歌おうぜ、尾崎。~」
※2017年8月12日開催(ロックバーUK)








【記事/画像引用】「majiro presents 誰がために唄う尾崎の調べ ~15一会(イチゴイチエ)~

小樽雪あかりの路

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●小樽雪あかりの路
※2017年2月3日~12日開催

 今年で19回目を迎える「小樽雪あかりの路」が、2017年2月3日(金)~12日(日)に渡って、小樽市内の各会場で開催されます。

 毎年50万人近くの観光客が訪れる小樽の冬の風物詩を紹介します――。
 
 
●運河会場

 【浮き玉キャンドル】

  小樽雪あかりの路のシンボルでもあり、運河の水面で揺らぐ浮き玉のキャンドルの灯りが、ノスタルジックな雰囲気を演出する。






 【おもてなしロード】

  約300基ものスノーキャンドルが、運河沿いの散策路を優しく照らす。



















●手宮線会場

 北海道で最初に開通した幌内鉄道の廃線跡地。

 細く長く続く雪道をスノーキャンドル、ワックスボックス、 雪のオブジェなどの灯火がより一層、幻想的な効果を演出。

 木の枝にワックスボックスが設置されていて、雪あかりが空中に点在しているように見える「天使の迷い道」が見所。
























●朝里川温泉会場

 朝里川のほとりや、川の中にキャンドルの灯りがともる。幻想的な風景で、運河会場や手宮線会場とはひと足違った雰囲気を楽しめる。














●天狗山会場

 雪原に佇む天狗桜がライトアップされ、山頂からは小樽の夜景を楽しめる。








●サンモール会場

 商店街の通路の真ん中にロウソクが灯されたワックスボックスが一直線に並んでいる。






●編集後記

 札幌の雪まつりがメインディッシュとしたら、の小樽雪あかりはデザートかな?

 小樽運河では、散策路に灯るガス灯やライトアップされた倉庫群に浮き玉キャンドル、おもてなしロードの雪あかりがコラボレーション。

 まるで、絵画の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥ります――。


【記事引用】「小樽雪あかりの路15

ダイヤモンドダスト in KAWAYU

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●ダイヤモンドダスト in KAWAYU
※2018年2月2日(金) ~ 2月22日(木)

 毎年2月に弟子屈で開催されるイベント。川湯温泉の特殊な自然環境とワックスキャンドルが創り出す幻想的な美を楽しめます。

 氷点下10℃以下というダイヤモンドダストが発生する条件下でのレインボー・ダイヤモンドダストなど、様々な催しも開催。
























photo by seiji nakamura


●編集後記

 「ダイヤモンドダスト」という言葉を聞いたことはあっても、実際に肉眼で見たことがある人は少ないはず。

 現地でダイヤモンドダスト体験をするのもいいかもしれません――。





【画像引用】「中村誠司」「釧路愛好会~くしろよろしく~
【記事引用】「ダイヤモンドダスト in KAWAYU 2018」「ダイヤモンドダスト実行委員会

 

石川啄木の歌碑(釧路)

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●早逝の天才歌人

 二十六歳の若さで早逝した天才歌人・石川啄木
 
 岩手に生まれ、北海道の流浪の旅を経て東京で生涯を終えるまで、詩歌、小説、日記、評論の分野で多くの作品を遺しました。

 純朴な優等生という印象とは裏腹に、料亭などに毎晩のように繰り出し、啄木争奪戦が起こるなど女性に大変モテたそうです。
  

●釧路時代の啄木

 啄木が釧路駅に降り立ったのは、1908 (明治41) 年1月21日の夜。

 啄木が二十二歳の時のことで「さいはての駅に下り立ち雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき」という歌は有名です。





 釧路新聞の編集長として七十六日間滞在し、紙面上で時事評論、随筆、詩、論文、短歌と相当な数の作品を残しています。



●啄木通り (南大通)

 南大通にある啄木通りには、啄木歌碑が24基建っていて、旧釧路新聞社跡、啄木下宿跡、料亭跡など啄木ゆかりの史跡も点在しています。






歌碑①】(旧釧路停車場跡)

 浪淘沙 (ろうとうさ)
 ながくも声をふるはせて
 うたうがごとき旅なりしかな


     


 交流プラザさいわいのパレスボウル側駐車場脇に建っている歌碑。

 釧路停車場の開業は、1901 (明治34) 年7月。1917 (大正6) 年11月まで使われ、手前の市役所横通りは当時の線路跡。

 駅舎はNTT構内に北大通に面して建っていたそうです。


     



歌碑②】(南大通二丁目)

 北の海
 鯨追う子等 (ら) 大いなる
 流氷来るを 見ては喜ぶ

 ※当時の釧路の海岸にクジラが来ていたようです

     



歌碑③】(小奴碑)

 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 かなしみの滓(おり)を啜(すす)るごとくに

 小奴(こやっこ)といひし女の
 やはらかき
 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり

 舞へといへば立ちて舞ひにき
 おのづから
 悪酒(あくしゅ)の酔いにたふるるまでも


 ※啄木が贔屓にしていた芸妓の小奴が、後年に「旅館大近屋」の女将をやっていた場所






歌碑④】(旧釧路新聞社跡)

 十年まへに作りしといふ漢詩を
 酔へば唱へき
 旅に老いし友


     


 ガソリンスタンド (シェル石油) の事務所前にある歌碑で、ここに啄木が釧路時代に働いていた旧釧路新聞社の建物があった。

 啄木が来釧する前日の明治41年 (1908年) 1月20日に完成し、1965年頃まで現存していました。






【歌碑⑤】(港文館)

 さいはての駅に下り立ち 
 雪あかり 
 さびしき町にあゆみ入りにき





 啄木が釧路停車場に降り立った時の心情を詠んだ歌で、小奴が揮毫。

 旧釧路新聞社の社屋を原寸大で復元し、啄木資料館として無料開放されている港文館の前に建つ啄木のブロンズ像脇に歌碑板があります。  





 港文館には、啄木が通った料亭の火鉢や徳利や、小奴が揮毫した歌の原紙などが展示されています。


     



歌碑⑥】(釧路信金南支店前)

 神のごと
 遠くすがたをあらはせる
 阿寒の山の雪のあけぼの

 ※啄木が釧路を去る朝、船上で詠んだ歌






歌碑⑦】(南大通四丁目)

 わが室 (へや) に女泣きしを
 小説のなかの事かと
 おもひ出づる日

 ※啄木がある女性をふった後、仲立ちをした女性がその女性に悪態をつかれ、啄木の部屋で泣いたことを詠んだ歌


     



歌碑⑧】(啄木下宿の地跡)

 こほりたるインクの罎 (びん) を 
 火に翳 (かざ) し 
 涙ながれぬ ともしびの下

 ※勤務後、下宿先の冷え切った部屋で凍ったインクを火鉢にかざすが溶けず、寒さと単身赴任の悲哀が身に沁みて泣いたという歌


     


 啄木が下宿した建物はシーサイドホテルの裏側付近にあり、啄木が住んでいたのは2階の右端の部屋でした。

 啄木は、この下宿先から休み坂を登って料亭街に通っていたといいます。






【歌碑⑨】(啄木ゆめ公園)
 
 さいはての駅に下り立ち 
 雪あかり 
 さびしき町にあゆみ入りにき
 
 ※啄木が釧路停車場に降り立った時の心情を詠んだ歌






歌碑⑩】(休み坂登り口)

 山に居て
 海の彼方の潮騒を
 聞くとしもなく君を思ひぬ


     



啄木歌碑⑪】(南大通八丁目)

 三味線の絃のきれしを
 火事のごと騒ぐ子ありき
 大雪の夜 (よ) に

 ※啄木が贔屓にしていた芸妓の市子のことを詠んだ歌といわれています


     



啄木歌碑⑫】(米町公園)

 しらしらと氷かがやき
 千鳥啼 (な) く 
 釧路の海の冬の月かな

 ※啄木生誕50周年を記念して1934年に建立された歌碑で、釧路の啄木歌碑の中では一番古い


     



【石川啄木離釧の地】

 啄木が1908 (明治41) 年4月5日に、東京へ向けて釧路を出航した場所。


     


 啄木が船に乗り込んだのは、近くにある濱谷建設の敷地内付近。今は埋め立てられて面影はありませんが、かつて付近一帯は砂浜でした。


     



歌碑⑬】(米町二丁目)

 春の雨夜の窓ぬらし
 そぼふれば
 君が来るらん鳥屋 (とや) に鳩なく
 
 ※雪の上に雨が降る静かな夜に、小奴からの手紙の返事を書いていた時の様子を詠った歌






歌碑⑭】(米町三丁目)
  
 顔とこゑ
 それのみ昔に変らざる友にも会ひき
 国の果にて






歌碑⑮】(弁天ケ浜)

 さらさらと氷の屑が
 波に鳴る
 磯の月夜のゆきかへりかな
 
 ※3月中旬の夜、冷たく凍った釧路の砂浜を歩いた時のことを詠んだ歌


     


 歌碑の向こうは弁天ケ浜という海岸になっています。今は侵食によって無くなっていますが、昔は海岸に砂浜が広がっていたそうです。






歌碑⑯】(弥生二丁目)

 花の下
 たもとほる子は行きずりの
 袖の香りに物言はせけり






歌碑⑰】(米町三丁目)

 酒のめば悲しみ一時(いちじ)に湧き来るを
 寝て夢みぬを
 うれしとはせし






歌碑⑱】(本行寺)

 一輪の紅き薔薇の花を見て
 火の息すなる
 唇をこそ思へ

 ※本行寺での歌留多 (かるた) 会で出会った梅川操という女性を詠んだ歌


     


 本行寺の境内にある啄木資料館には、啄木も興じていた本行寺での加留多会の様子がミニチュアで紹介されています。






歌碑⑲】(米町一丁目)

 出しぬけの女の笑ひ
 身に沁みき
 厨に酒の凍る真夜中






歌碑⑳】(浦見八丁目)

 よりそひて
 深夜の雪の中に立つ
 女の右手のあたたかさかな

 ※この界隈は昔料亭街で、女とは小奴のことだといわれています






歌碑㉑】(浦見八丁目)

 葡萄色 (えびいろ) の
 古き手帳にのこりたる
 かの会合の時と処かな


     



しゃも寅の井戸

 江戸時代以前から使われていた井戸水。





 明治時代に近くに料亭「しゃも寅」があり、啄木が料亭での酔いをこの井戸の水を飲んで醒ましたといわれています。






歌碑㉒】(料亭しゃも寅跡)

 火をしたふ虫のごとくに
 ともしびの明るき家に
 かよひ慣れにき

 ※料亭に通う自分のことを自虐的に詠んだ歌


     



歌碑㉓】(浦見八丁目)

 波もなき二月の湾に
 白塗 (しろぬり) の
 外国船が低く浮かべり

 ※舟見坂から見た景観を詠んだ歌

 




歌碑㉔】(南大通七丁目)

 西の空雲間を染めて
 赤々と
 氷れる海に日は落ちにけり

 ※雲間を染め、冬の海を赤々と照らしながら沈んでゆく夕陽を詠んだ歌






歌碑㉕】(喜望楼跡)

 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 悲しみの滓(おり)を啜(すす)るごとくに

 
     


 料亭・喜望楼(きぼうろう)があった佐野碑園内にある歌碑。





 喜望楼は当時「道東一の料亭」と呼ばれ、モダンな洋風建築で12人の芸妓を抱えており、啄木が来釧して初めて酒と芸妓を知った場所でもあります。






●編集後記

 「清貧で純朴な好青年」というイメージとは裏腹に、借金は踏み倒す、妻子をよそに毎晩料亭通いに明け暮れるなど、自由奔放に生きた啄木。
  
 女にだらしない、お金にだらしない、自分勝手という“啄木三悪”と呼ばれる一面を持ちながら、数多くの哀愁を誘う繊細な歌を遺した啄木。
  
 ひと言でいうと、破天荒な天才歌人ということでしょうか。そんなギャップも、時代を超えて人々を魅了し続ける理由の一つなのかもしれません――。



【記事引用】「石川啄木 漂泊の歌人」「釧路愛好会 ~くしろよろしく~
      「石川啄木はとんでもない男だった」「愛すべきゲス!石川啄木のエピソードが面白い
      「函館物語 / 辻仁成・著
【画像引用】「市制施行70周年記念 目で見る釧路の歴史

アジアリーグアイスホッケー「ジャパンカップ2018」

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●ジャパンカップ2018
※2018年1月6日(土)~2月25日(日) 開催

 アジアリーグに所属する国内チームの王子イーグルス東北フリーブレイズH.C.栃木日光アイスバックス日本製紙クレインズの4チームで争うカップ戦。





 今年から初開催される大会で、試合方式はホーム&アウェー方式の6回戦総当たりで、計36試合が行われる。

 開催地は北海道が日本製紙アイスアリーナ(釧路)、月寒体育館(札幌)、白鳥アリーナ(苫小牧)の3箇所。





 本州は、テクノルパーク八戸(八戸)、日光霧降アイスアリーナ(日光)、ダイドードリンコアイスアリーナ(西東京)、アクアドームくまもと(熊本)。

 開催期間は2018年1月6日(土)~2月25日(日)で、試合日程はこちら






●札幌で開幕

 ジャパンカップは、2018年1月6日(土)、月寒体育館(札幌)で「王子イーグル VS 日本製紙クレインズ」のカードで開幕。

 チケット情報はこちらを参照下さい。


      



●編集後記

 西東京のダイドードリンコアイスアリーナで行われる関東でのジャパンカップの試合。

 観に行きたいけど、電車を4回も乗り換えなければならず、自宅から会場まで2時間以上もかかるだけでなく、往復で1600円以上かかってしまう交通費も痛い。

 来年から、全日本アイスホッケー選手権大会も含めて、アクセスが良い新横浜スケートセンターでの開催にしてくれないだろうか。。


【記事/画像引用】「アジアリーグアイスホッケー ジャパンカップ2018」「日本製紙クレインズ

京都五社巡り

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●京都五社巡り

 京都は、方角を司る「四神」が守護する土地として造営されたため、四神相応といわれる。

 北の玄武が上賀茂神社、東の青龍が八坂神社、西の白虎が松尾大社、南の朱雀が城南宮、そして中央に鎮座する平安神宮

 京の都を守るこの5つの神社を巡拝して御朱印を集めることを「京都五社巡り」といいます。


●八坂神社

 平安時代以前の656(斉明天皇2)年の創建と伝えられている神社。





 祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神とし、祇園神社、祇園社などと呼ばれていましたが、明治の神仏分離によって八坂神社と改められました。

 現在の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。


      


 四条通と東大路に面しているこの楼門は表門ではなく、南楼門が表門となります。

 京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる京都三大祭の一つ「祇園祭」は八坂神社の例祭。





 863(貞観5)年から疫病の流行が続き、869(貞観11)年に当時の国の数「66」の矛を立て、八坂神社から神泉苑へと行列したことが祇園祭の始まりと伝えられます。

 本殿の下には「龍穴」と呼ばれる井戸があり、神泉苑に通じているといわれています。


      



●平安神宮

 平安神宮は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に遷都の親神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。





 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。

 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。

 そんな悲惨な状況下で京都を救ったのは、京都復興に対する市民の情熱と全国の人々の京都に対する思い入れでした。





 数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。

 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。





 社殿は、平安京の中心施設である朝堂院を約8分の5に縮小して復元されています。

 平安神宮は、千年以上も栄え続けた雅やかな京都や、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。






●上賀茂神社

 秦氏の才女の玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきました。





 持ち帰り、軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産みました。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷(わけいかずち)となりました。

 この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社といいます。





 神社は京都でも最も古い神社の一つで、雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めました。

 平安時代初期から400年にわたって、伊勢神宮の斎宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきた歴史もあります。

      



●松尾大社(まつのおたいしゃ)

 松尾大社は大宝元年(701)に建立された社で、酒づくりの神様として有名。





 境内に足を入れると目を引く山のように積まれた酒樽は、各地の酒造業者が奉納したもの。亀の井とよばれる湧き水を元水に加え酒を醸造すれば腐らないという言い伝えがあります。

 4月下旬には楼門から本殿の間の一ノ井川沿いなど境内一円に3,000本もの山吹が咲き誇り、ライトアップも行われます。





 また、それぞれ趣の違った庭が集まる「松風苑」があります。

 これらの庭園で用いられた200余個の石はすべて徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)で、1970年に着工、1975年5月に完成しました。







●城南宮

 794(延暦13)年の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建。





 城南宮とは、平安城の南に鎮まるお宮の意味。

 平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮が造営されて院政の拠点となると、城南宮は離宮の鎮守として一層崇められました。





 2k㎡にも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり、歌会や雅やかな宴や船遊びも行われ、王朝文化が花開きました。


 城南離宮の御殿は、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にも充てられ、上皇や貴族は方位の災厄から無事であるよう祈願されました。





 このように、城南宮の方除の御神威は平安時代の昔より顕われています。

 江戸時代には「大日本不易太大神宮」と尊称され、城南祭では、3基の神輿が氏子区域を巡行、周囲の村々に住む人の一番の楽しみになっていました。





 また、明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まりました。

 そのため、旧幕府軍に勝利した薩摩の軍勢は「城南宮の御加護によって勝利を得られた」と御礼参りに訪れたといいます。





 こうして1200年の歴史を重ねてきた城南宮は「方除の大社」と仰がれ、全国の人々から、日々の暮らしの守り神と、篤く尊崇されています。
 


●編集後記

 観光名所以外の京都の街の色々な表情を見れたり、京都という街の大きさを体感することができるので、レンタサイクルでの巡礼もオススメです。

 なお、時間的には休憩なしだと2時間半で回ることができます。

 ちなみに、平安神宮~上賀茂神社は鴨川の河川敷を走るので心地良いけど、上賀茂神社~松尾大社は坂道が続くのでちょっとキツイです。。

 
   
   
    五社めぐり四神色紙(1000円)、ご朱印(各300円)



【記事引用】「京都:祇園八坂神社」「平安神宮」「方除けの大社 城南宮


「西郷隆盛の史跡」

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●西郷隆盛の史跡

 明治維新150周年を迎え、2018年1月7日からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まるということで、鹿児島にある西郷隆盛の史跡を紹介します――。


●西郷隆盛の銅像

 西郷隆盛没後50年祭記念として、鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけて製作した銅像。





 わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8メートルの堂々たるモニュメントで、1937(昭和12)年5月23日に完成しました。


      


 本体は5.76mで土台が1.21m、築山は7.27mとなっています。


      



●西郷南洲翁宅地跡

 西郷隆盛が29歳の時に移り住んだ場所。ここに来る前々年、祖父、父、母と相次いで失い、加治屋町の屋敷を売って借金の返済に充てたといわれています。





 この屋敷で弟の吉次郎や従道の結婚式を行い、妹が嫁ぎ、西郷自身も1865年にイト婦人と結婚しました。






●私学校跡

 1873年10月、征韓論に破れ、下野して鹿児島に帰って来た西郷隆盛は農夫として静かに暮らそうとしましたが、西郷を慕って帰郷した若者たちに祭り上げられ、私学校を設立。





 明治9年(1876)末頃は県内のすべての郷内に設立され、青少年の多くが学びました。西南戦争では私学校周辺は激戦地となり、当時の弾痕跡が今も石塀に残っています。





 私学校は年々巨大化し、反政府の気運を高まらせ、ついに過激生徒が暴走。政府火薬庫の襲撃によって西南戦争をを引き起こし、私学校はわずか4年でその歴史を閉じたのです。
 





●西郷隆盛洞窟

 西南戦争の時、西郷隆盛が私学校の幹部達とともに過ごした洞窟。





 薩軍と政府軍との城山攻防戦という西南戦争の終盤戦において、政府軍の城山包囲網の中、西郷隆盛はこの洞窟で5日間過ごしました。

 



 西郷が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として、1974年に鹿児島県の史跡になりました。現在の洞窟の規模は、奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5m。
 




 洞窟を出た時の西郷の出立ちは、妻のイトが縫ったしまの単衣に白い兵児帯。この直後、7ヶ月にも渡る大乱の最期を迎えることになりました。






●西郷隆盛終焉の地

 鹿児島市城山町にある西郷隆盛が命を絶った場所。  





 1877年9月24日、城山洞窟を出て300mのところで政府軍の銃弾を受けた西郷隆盛は「晋どん、もうここらでよか」というひと言とともに、私学校の幹部の介錯で自害しました。





 薩長同盟や江戸城の無血開場など大局を見据えた沈着冷静な歴史的大判断を行い、明治維新に大きく貢献した西郷隆盛。49歳の若さでした――。





    
●西郷公園

 鹿児島空港から徒歩3分という好立地にある公園。





 薩摩藩の別邸を彷彿とさせる門構えで、西南戦争を描いた53枚の錦絵をはじめ、西郷隆盛や明治維新に関する資料、軍服にまつわるエピソードなどが展示されています。





 西郷公園の特徴はなんといっても、人物像として日本一の大きさを誇る西郷隆盛像。





 鹿児島空港を見据えるように立つ西郷さんの銅像は、鹿児島に来られる方を出迎え、そして見送るようにそびえたっています。 






●編集後期

 2005年に高知、2008年に山口、そして2018年に、鹿児島を訪れて、幕末維新の立役者となった三大雄藩を制覇することができ、幕末ファンとしては感慨深い。。

 日本という国のために、犬猿の仲だった長州藩と薩長同盟を結ぶという私怨を超えた大局的な歴史的判断を下した西郷隆盛の度量の大きさには、敬服するばかりです――。


【記事引用】「維新のふるさと 鹿児島市」「西郷隆盛洞窟」「西郷隆盛終焉の地」「西郷公園

  

第15回「啄木・雪あかりの町・くしろ」

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●啄木・雪あかりの町・くしろ
※2018年1月20日(土) 開催

 釧路市民の有志でつくる「釧路Yukiアートプロジェクト」が、毎年1月末に南大通周辺で開催している石川啄木の来釧記念イベント。

 港文館前から南大通6丁目に渡って、約2000個の氷のキャンドルや紙袋ランタンが設置され、釧路の町を彩ります。

 石川啄木が初めて来釧した1908 (明治41) 年1月21日にちなんで、毎年1月21日の週の土曜日に開催されています。






●港文館で点灯式

 イベントは、港文館での「釧路啄木会・雪あかり講演会」から始まります。

 同館では、詩吟講演、啄木・一人百首歌留多会、啄木の歌碑を写し取る拓本体験会などが行われ、無料配布のコーヒーやジュースを飲みながら「入選短歌展示」も楽しめます。

 そして、17時からは、港文館前広場で恒例の「啄木・小奴の点灯式」。

 本部が置かれる橋南西会館では、「啄木らーめんカフェ&たくぼくカフェ」がオープン。フォトコンテストも開催され、公開審査で来年のポスター写真の選定が行われます。






●鉄砲汁や甘酒の無料配布

 南大通では、毎年完売のせんべい汁やおしるこのほか、鉄砲汁や甘酒の無料配布も。

 セブンイレブン釧路南大通駐車場の「あったか屋台」では、たこ焼きやラーメン、港文館前広場の「ゆめこい一杯屋台」では日本酒や焼き鳥なども販売されます。






●キャンドルアートと紙袋ランタン

 会場に設置される氷のワックスキャンドルや紙袋ランタンは、釧路市内の小学校や企業の協力で作られています。
















【紙袋ランタン】









       

      

 
(photo by atsushi yokoyama
 
 
●編集後記

 2018年の今年、石川啄木来釧110周年を迎えます。

 今年で15回目の開催となる「啄木雪あかりの町くしろ」のイベント発起人は、釧路Yukiアートプロジェクトの代表で市内在住のNPO法人職員・川村純一さん。

 彼は、「小樽雪あかりの路」を訪れた際にワックスボールの美しさに感動し、小樽のイベント関係者に作り方を教えてもらうなどして、2013年に個人でスタートしたとのこと。

 今まで小樽と同じ北海道の港町の釧路に雪あかりのようなイベントがなかったの不思議ですが、釧路の冬の風物詩として成長していってほしいものです――。

 個人的に、幣舞橋と久寿里橋の間の釧路川に、「小樽雪あかりの路」運河会場の様に浮き球キャンドルを浮かべてほしいな~。






【記事引用】「ゆめこいブログ」「どうしんウェブ」「啄木・雪あかりの町・くしろ
      「釧路新聞
【画像引用】「PhotoDiary ~北海道の風景写真ブログ~」「釧路愛好会~くしろよろしく~

個展「松本直樹 道東を想う」(釧路)

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●個展「松本直樹 道東を想う」

【期間】 2018年1月29日(月) ~ 2月9日(金)
     ※1月27日(土)から観覧可

【会場】 釧路町公民館(入場無料)

     開館時間:9:00~17:00
     住所:釧路郡釧路町河畔7丁目52番地1


【展示内容】 道東風景をアクリル画や水彩画で描いた絵画作品

【作者紹介】

 1984年、釧路市生まれ、釧路町育ち。
 2003年釧路北陽高校卒業後、札幌デザイナー学校入学
 2006年初個展。画家としての活動はアクリル画がメインとなる。
 この他、漫画家としても活動する。
 過去漫画連載2本。
 美術団体には所属せず、孤高の画家として活動を続ける。
 個展スポンサーも随時募集中。


【主な作品】

「日沈み行く釧路湿原2017」 F4号(アクリル画)



「達古武湖の夏2017」 2Lサイズ(水彩画)



「釧路川2017秋」 2Lサイズ(水彩画)



「初冬の春採湖」 F0号(アクリル画)



「釧路に沈む夕日」 F4号(アクリル画)



「月夜の摩周湖2017」F6号(アクリル画)



●お知らせ

 設置作業を月曜日の朝に行う予定が、会場提供者のご厚意で金曜日のうちに設置作業が完了。

 土曜日は公民館が空いているので、作者は会場には居ませんが1月27日(土)から観覧可能とのことです。


【記事/画像引用】 「松本直樹」「ナオキブログ」「釧路愛好会~くしろよろしく~
 
 

小樽雪あかりの路

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●小樽雪あかりの路
※2017年2月3日~12日開催

 今年で19回目を迎える「小樽雪あかりの路」が、2017年2月3日(金)~12日(日)に渡って、小樽市内の各会場で開催されます。

 毎年50万人近くの観光客が訪れる小樽の冬の風物詩を紹介します――。
 
 
●運河会場

 【浮き玉キャンドル】

  小樽雪あかりの路のシンボルでもあり、運河の水面で揺らぐ浮き玉のキャンドルの灯りが、ノスタルジックな雰囲気を演出する。






 【おもてなしロード】

  約300基ものスノーキャンドルが、運河沿いの散策路を優しく照らす。



















●手宮線会場

 北海道で最初に開通した幌内鉄道の廃線跡地。

 細く長く続く雪道をスノーキャンドル、ワックスボックス、 雪のオブジェなどの灯火がより一層、幻想的な効果を演出。

 木の枝にワックスボックスが設置されていて、雪あかりが空中に点在しているように見える「天使の迷い道」が見所。
























●朝里川温泉会場

 朝里川のほとりや、川の中にキャンドルの灯りがともる。幻想的な風景で、運河会場や手宮線会場とはひと足違った雰囲気を楽しめる。














●天狗山会場

 雪原に佇む天狗桜がライトアップされ、山頂からは小樽の夜景を楽しめる。








●サンモール会場

 商店街の通路の真ん中にロウソクが灯されたワックスボックスが一直線に並んでいる。






●編集後記

 札幌の雪まつりがメインディッシュとしたら、の小樽雪あかりはデザートかな?

 小樽運河では、散策路に灯るガス灯やライトアップされた倉庫群に浮き玉キャンドル、おもてなしロードの雪あかりがコラボレーション。

 まるで、絵画の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥ります――。


【記事引用】「小樽雪あかりの路15

ダイヤモンドダスト in KAWAYU

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●ダイヤモンドダスト in KAWAYU
※2018年2月2日(金) ~ 2月22日(木)

 毎年2月に弟子屈で開催されるイベント。川湯温泉の特殊な自然環境とワックスキャンドルが創り出す幻想的な美を楽しめます。

 氷点下10℃以下というダイヤモンドダストが発生する条件下でのレインボー・ダイヤモンドダストなど、様々な催しも開催。
























photo by seiji nakamura


●編集後記

 「ダイヤモンドダスト」という言葉を聞いたことはあっても、実際に肉眼で見たことがある人は少ないはず。

 現地でダイヤモンドダスト体験をするのもいいかもしれません――。





【画像引用】「中村誠司」「釧路愛好会~くしろよろしく~
【記事引用】「ダイヤモンドダスト in KAWAYU 2018」「ダイヤモンドダスト実行委員会

 
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