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知覧特攻平和会館

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●知覧特攻平和会館
※1985年開館

 鹿児島県南九州市知覧町郡にある特攻隊員の遺品や遺書、関係資料が展示されている「知覧特攻平和会館」について紹介します――。



●特攻隊の生きた証

 太平洋戦争末期に編成された特別攻撃隊に関する資料の展示施設。

 写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されており、そのほとんどは元特攻隊員で初代館長の板津忠正氏が集めたものです。


【各隊別の写真】



【遺影】



【特攻基地への前進】



【第52振武隊】 



 【出撃前のひととき】 



【出撃前のひととき】



           【出撃を翌日に控えた特攻隊員】
          


【絶筆/最期の便り】



【出撃前の腹ごしらえ】



【第1特別振武隊 発進】



【別れの盃】



【遺筆】



【遺品】



    【覚書】
     


【遺書】



【絶筆】
       


【絶筆】
 


     【絶筆】
      

 
     【絶筆】
      

     【絶筆】
       
            

【絶筆/遺書】
        


【遺書】
        


【遺書】


        

【遺書】
    
  
【不時着して大破したゼロ戦】
      


     




●編集後期

 「永遠のゼロ」を読んで、特攻隊に関する関心が高まっていた時に、鹿児島に特攻隊の遺書や遺品を展示した場所があることを知って、一念発起して来館。

 来館前は、軍の洗脳で自己喪失に陥った人たちの日本を過剰に崇拝する内容の遺書ばかりだと思っていたけど、個性的で人間味溢れるものがたくさんあってびっくり。

 使命感に溢れたもの、ユーモアを感じさせるもの、弱気なもの、家族への感謝を表したものなど、死を義務付けられた若者の諦観と決意が文面から滲み出ていて、胸に迫るものがありました。

 それと同時にすごい親近感が沸き、まるで自分の友達が書いた遺書を見ているような気分にもなってきます。

 なので「散歩に行く様な、遠足に行く様な気分なり。皆元気で、あと3、4時間で死ぬとは思えない」という死への実感のない無邪気な遺書に、戦争の無情さを痛感。



        



 特攻隊員は、知覧の飛行場を飛び立った後、左手に見える開聞岳を日本の象徴・富士山に見立てて「祖国への別れ」の意味を込めて、山が見えなくなるまで敬礼していたそうです。

 特攻隊のほとんどが学生で、わずか1年半ほどの訓練で出撃を命じられ、4000人余りの未来ある若者たち海に散っていきました。

 館内は撮影禁止ですが、鹿児島中央駅から路線バスで1時間半もかかる山奥にあって来館できない人がたくさんいると思い、「雰囲気だけでも伝えられたら」とあえて紹介させて頂きました。

 ただ、ここに載せたものは館内の展示物のほんの一部で、目の前に立って肉眼で見ることでしか感じられないものがたくさんあります。

 皆さんの周りにいる様な普通の少年達が、私たちが暮らしている日本という祖国を守るために自分の命と未来への可能性を犠牲にして死んでいったという歴史的事実。

 そして、愛する人たちを遺して若くして死ななければならなかった彼らの無念さと生きた証を受け止めに、ぜひ一度足を運んでみて下さい――。
 


 



【記事/画像引用】「知覧特攻平和記念館」「Wikipedia

 


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