円谷家のお墓
円谷プロダクションの初代社長で、”特撮の神様”と呼ばれた円谷英二。
国民的特撮作品「ウルトラマン」のメイン監督を務め、英二氏亡き後、社長の跡を継ぎ、第二次怪獣ブームの火付け役になった長男の円谷一氏。
今年は”円谷英二没後50年”ということもあり、円谷家のお墓を紹介します——。
カトリック府中墓地
円谷英二・一氏は、JR中央線「国分寺駅」前から、バスと徒歩で20分ほどの所にあるカトリック府中墓地に眠っています。
近隣のバス停から墓地へ向かう途中に花屋があるので、墓前に供える花はこちらで購入するのが良いでしょう。
円谷家の墓前
墓地の入り口を直進すると右手の方に円谷家のお墓があり、墓前にはゴジラやウルトラマンなどの人形が供えられています。
生前あれだけの功績を遺した人物のお墓なのに、豪華絢爛とは程遠いこじんまりとした質素な佇まいで少し驚かされます。
英二氏はカトリック信者だった妻の勧めで、1960年に成城カトリック教会で洗礼を受けてクリスチャンになりました。
洗礼名はペトロで、「円谷家」と書かれた墓石の裏には、このように刻まれています。
ペトロ 円谷英二
一九七〇年一月二十五日 六十八才
パウロ 円谷一
一九七三年二月九日 四十一才
・カトリック府中墓地
東京都府中市天神町4丁目13−1
※JR中央線「国分寺駅」前よりバス停「学園通り郵便局前」下車徒歩3分
編集後記
「ウルトラマン」は、生まれて初めて見たであろうヒーロー。
そんな幼少期に夢中になっていた作品の制作に携わった方の墓前で、子供時代に楽しませてもらったお礼を伝えると、何ともいえない感慨深い気持ちになります。
円谷英二氏は世界的に有名ですが、英二氏の長男の一氏はあまり知られていません。
ウルトラマンでフジ隊員役を務めた桜井浩子氏の著書「ウルトラマン創世記」に、このようなエピソードが紹介されています。
「寒い中での夜間ロケの休憩の合間、近くに居酒屋を見つけた浩子氏は体の内側から温まろうと日本酒を注文。
一口飲もうとした瞬間、ガラリと入り口が開く音がして振り向くとそこには監督の一氏の姿が。
マズイ!と思った浩子氏をよそに、いたずらっ子のように笑って隣に座った一氏は、同じマス酒を頼んで一気に飲み干した。
店を出る時、代金を払ってくれた一氏に会釈をした浩子氏に黙って右手を上げ、現場に戻った一氏は何事もなかったかのように撮影を再開させた」
「一氏に、ウクレレやギター、マラカス、タンバリンなどを奏でながら女性たちが美しい声で一緒に歌ってくれるミュージックバーに連れていってもらった時のこと。
そこでの一氏は、実に生き生きと嬉しそうに浮かれ、現場での目じりの吊り上がった表情とはまったくの別人のようだった。
主にハワイアンが好きだった一氏は、ウィスキーの水割りを3~4杯飲むと陽気になり、マラカスを持って大きな体でリズムをとりはじめる。
そして、お店の女の人に合わせて、体に似合わぬ小さな声でハミングをする。しかし、どんなに酔っても、決して乱れることはなかった」
監督としての一氏は懐の深い演出をする人で、照明部、撮影部、特撮班までも、全てのパートの隅々まで理解した上で演出してくれているという心遣いが伝わってきたそうです。
仕事においても私生活においても、一氏は”全体を見る人”だったと浩子氏は語っています。
円谷プロの社長に就任後、多額の負債を抱えて危機的な状況にあった同社の経営をわずか3年で建て直した末に体調を崩し、命を落とした一氏。
円谷一を一生の友としていた中川晴之助氏が、寂しそうにこう語ったそうです。
「あいつはしょせん経営的なところに座る男じゃなかったと思うんですよ。だから、現場にいたら、もっと長生きしていたんじゃないかと僕は思うんだけど……」
墓前のウルトラマンの人形の塗装が剥がれたままになり、雑草も少し目立っていることから、あまりお墓参りをする方がいないのでしょうか。
来年の「円谷英二生誕100年」「ウルトラマン55周年」というWアニバーサリー・イヤーに、少しでも多くの方が足を運んでくれることを祈ります——。
【記事参照】「円谷一」「ウルトラマン創世記」
「円谷一 ウルトラQと“テレビ映画”の時代」