●知覧特攻平和会館
12月21日から「永遠のゼロ」が公開になるということで、特攻隊員の遺品や遺書、関係資料が展示されている知覧特攻平和会館について紹介します――。
●特攻隊の生きた証
鹿児島県の知覧町にある太平洋戦争末期に編成された特別攻撃隊に関する資料の展示施設。
写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されており、そのほとんどは元特攻隊員で初代館長の板津忠正氏が集めたもの。
【遺影】

【第52振武隊】

【出撃前のひととき】

【出撃を翌日に控えた特攻隊員】

【出撃前の腹ごしらえ】

【絶筆/最期の便り】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆】

【絶筆/遺書】

【遺書】

【遺書】

【遺書】

【遺書】

【不時着して大破したゼロ戦】

●編集後期
知覧特攻平和会館を訪れるきっかけになったのは、小説『永遠のゼロ』。
この本を読んで特攻隊に興味を持ち、鹿児島に特攻隊の遺書や遺品を展示した場所があることを知り、一念発起して来館。
「もし、自分が同じ立場に立たされたら」ということを考えながら遺書や絶筆を眺めると、胸に込み上げるものがあってやりきれない気持ちになる。
来館する前は、軍の洗脳によって自己喪失に陥った内容の遺書ばかりだと思っていたら、個性的で人間味溢れるものがたくさんあって驚いたと同時に、彼らに対する親近感が沸いた。
人生二十年と題された遺書の「散歩に行く様な、遠足に行く様な気分なり。皆元気で、あと3、4時間で死ぬとは思えない」というくだりも、彼らの置かれた立場の惨さに言葉を失ってしまう。
また、一度出撃したがエンジントラブルで帰還した特攻隊員の「戦闘機に乗り込む時が地面との今生の別れ」という話も心に残った。

知覧の飛行場を飛び立った後、左手に見える開聞岳を日本の象徴・富士山に見立て「祖国への別れの挨拶」の意味を込めて、山が見えなくなるまで敬礼していたという話にも感動した。
館内は撮影禁止だけど、鹿児島中央駅からバスで1時間半もかかる山奥にあってなかなか来れない人も多いと思うので、雰囲気だけでも伝えられたらと思い、紹介させて頂きました。
ただ、ここに載せたものは館内の展示物のほんの一部で、直筆の遺書を肉眼で見ることでしか感じられないものがたくさんあります。
自らの命を賭けて私たちが暮らしている国を守ろうとした少年たちの息吹を感じたい方は、ぜひ足を運んでみて下さい――。
【記事/画像引用】 「知覧特攻平和記念館」 「Wikipedia」