今一度日本を洗濯致し申し候
土佐藩から脱藩し、藩のしきたりやしがらみから自由になった坂本龍馬。
軍艦による海運業によって、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を結び付け、幕府に軍事的圧力をかけながら大政奉還の実現に向けて奔走。
さらに、日本各地の先進的な藩の有識者との交流によって知識や考え方を発展・飛躍させ、維新後の日本の礎となる国家像まで描きました。
日本を洗濯し、新たな時代を切り拓いた坂本龍馬ゆかりの場所を紹介します――。
目次
坂本龍馬誕生地
高知城下本丁筋1丁目、現在の上町1丁目で誕生した龍馬。龍馬の誕生日かつ命日の11月15日には、碑の前で龍馬誕生祭を開催しています。
日根野道場跡
龍馬が14歳から19歳まで剣術修行に励んだのが、日根野弁治が開いた日根野道場。鏡川に面した築屋敷と呼ばれる所にありました。
現在、道場は残っていないが、剣術をはじめ居合や槍、水泳など武芸修行の場であり、龍馬は小栗流和兵法事目録を授けられたと言われています。
鏡川
日根野道場が川沿いだったため、龍馬にとって身近な遊び場でした。
姉の乙女に泳ぎ方を教わった龍馬は、「どうせ濡れるから」と言って雨でも泳いでいたという逸話が残っています。
坂本家墓所
上町から北西の丹中山にある坂本家一族の墓所。元は2箇所に分かれていたが移転・改葬され、現在は公園として整備されています。
龍馬の父の八平直足や母の幸、兄の権平直方、姉の栄に乙女などの御霊が眠る。
坂本家のお墓が一同に会しているので、一家団らんをしている坂本家の絵が浮かんできて、ほのぼのとした気持ちになれます。
武市半平太道場跡
土佐勤王党を結成した武市半平太の道場と邸跡。
1855年に開いた道場には、中岡慎太郎や岡田以蔵など120人を数える門人が通い、剣術を学んだ。半平太と親戚だった龍馬も頻繁に訪れていたといわれています。
半平太の道場と邸があったのは、写真の右上の建物付近だったと伝えられています。
喫茶さいたにや(才谷屋跡)
坂本家の本家・才谷屋の跡地に建っている喫茶店。
才谷屋の敷地の見取り図や家系図をはじめ、龍馬の似顔絵や写真、訪れた著名人のサインなどが店内中に飾られています。
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名物の龍馬珈琲は、ブーツ型のクッキー付きで450円。
和霊神社
坂本家の本家・才谷屋三代目の坂本直益が、坂本家の守護神社として建立した神社。
1862年、28歳の時、脱藩することを決意した龍馬は、家族に「吉野に花見に行く」と言い残して沢村惣之丞とともに和霊神社を訪れました。
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龍馬はこの場所で静かに水盃を飲み、土佐を後にしたといいます。 ここに立つと、脱藩という重罪を冒してでも日本という国のために自分の志に殉じようという彼の決意を感じることができます。
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田中良助旧邸
坂本家の領地を管理していた田中家の邸宅で、龍馬がよく訪れていた場所。
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明治19年に高知県を襲った台風で被害に遭い、西側の畑から風当たりの少ない現在の地に移築され、屋敷の南側には風除けのための石垣が築かれました。
金曜日、土曜日、日曜日のみの開館で、開館時間は10:00~17:00となっています。
【案内板】
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【玄関】
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【八畳岩】 屋敷の近くにある八畳岩からは、高知城や城下街、果ては太平洋まで見渡せる絶景を見渡せます。
龍馬はここからよく遠く眺めたり、この岩の上にゴザを敷いて良助氏と一緒に酒を飲んだりしていたそうです。
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龍馬は、岩の上にゴザを敷いて良助氏と囲碁もしていたみたいですね。
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ちなみに、八畳岩の案内看板は目立たない所に立っているので、よく探して下さい。(私自身、かなり探し回りました)
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坂本龍馬記念館
高知県高知市にある坂本龍馬に関する博物館で、1991年の龍馬の誕生日である11月15日に開館。
坂本龍馬に関する歴史資料をわかりやすく展示するとともに、人柄や業績、考え方についても紹介している。龍馬が暗殺された近江屋の部屋も再現されています。
屋上の展望台から眺める太平洋の大パノラマは圧巻で、初めて訪れた時は衝撃を受けました。
龍馬のうまれたまち記念館
高知駅からほど近い場所にある龍馬の資料館。
龍馬の人間形成の基盤となる家族や街を紹介し、近代国家の設立に尽力した龍馬を顕彰するため、2004年3月に龍馬の生誕地である上町に開館。
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龍馬が生まれてから脱藩までを過ごした上町の歴史や文化を模型やCG映像などで紹介しています。
昔の上町の町並みがミニチュアで再現され、才谷屋ほか龍馬に関連する店のジオラマ模型も展示されています。
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坂本龍馬像
地元の青年有志の募金活動で1928年に建立された龍馬の銅像で、桂浜公園の高台にあります。
和服に懐手、足元はブーツという出で立ちの龍馬像は高さ3.3m、台座を含めた総高は13.5m。桂浜の龍頭岬から雄大な太平洋を眺める姿は、大志を抱く龍馬をイメージさせます。
4/3~5/30と龍馬まつり前後は、龍馬像横に特別展望台が設置され、龍馬像を間近で観ることができます。
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編集後記
高知の坂本龍馬ゆかりの地巡りで最大の難関なのが、田中良助旧邸ではないでしょうか。 高知駅前から車での行程30分の2/3が山道で、車2台がやっと通れるような細く曲がりくねった道が続き、時々対トラックが対向車として走ってきます。 途中からはガードレールも無くなり、「こんな所に史跡があるの?」と思ってしまうほどの風景になります。 さらに、旧宅は写真の右側の車が通れない細い坂を歩いていくルートなので、すぐ脇が崖になっている道路脇に路上駐車しなければなりません。
しかも、帰りのことも考えて進行方向とは逆向きに止めなければならないという。。
さらに、駐車するすぐ先に見通しの悪いカーブがあり、そこからの対向車に怯えながら車を何回も切り返す必要が(泣)
しかし、八畳岩から見える光景は絶景で、ここまで来るための大変さが報われると同時に、車で30分くらいかかる山道を徒歩で通っていた龍馬の脚力にも驚かされます――。
【記事引用】「幕末維新 ゆかりの地と軌跡をめぐる旅」「一個人 坂本龍馬を巡る旅」
土佐藩から脱藩し、藩のしきたりやしがらみから自由になった坂本龍馬。
軍艦による海運業によって、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を結び付け、幕府に軍事的圧力をかけながら大政奉還の実現に向けて奔走。
さらに、日本各地の先進的な藩の有識者との交流によって知識や考え方を発展・飛躍させ、維新後の日本の礎となる国家像まで描きました。
日本を洗濯し、新たな時代を切り拓いた坂本龍馬ゆかりの場所を紹介します――。
目次
坂本龍馬誕生地
高知城下本丁筋1丁目、現在の上町1丁目で誕生した龍馬。龍馬の誕生日かつ命日の11月15日には、碑の前で龍馬誕生祭を開催しています。


日根野道場跡
龍馬が14歳から19歳まで剣術修行に励んだのが、日根野弁治が開いた日根野道場。鏡川に面した築屋敷と呼ばれる所にありました。


鏡川
日根野道場が川沿いだったため、龍馬にとって身近な遊び場でした。
姉の乙女に泳ぎ方を教わった龍馬は、「どうせ濡れるから」と言って雨でも泳いでいたという逸話が残っています。

坂本家墓所
上町から北西の丹中山にある坂本家一族の墓所。元は2箇所に分かれていたが移転・改葬され、現在は公園として整備されています。



土佐勤王党を結成した武市半平太の道場と邸跡。



坂本家の本家・才谷屋の跡地に建っている喫茶店。




名物の龍馬珈琲は、ブーツ型のクッキー付きで450円。

坂本家の本家・才谷屋三代目の坂本直益が、坂本家の守護神社として建立した神社。




龍馬はこの場所で静かに水盃を飲み、土佐を後にしたといいます。 ここに立つと、脱藩という重罪を冒してでも日本という国のために自分の志に殉じようという彼の決意を感じることができます。



田中良助旧邸
坂本家の領地を管理していた田中家の邸宅で、龍馬がよく訪れていた場所。

明治19年に高知県を襲った台風で被害に遭い、西側の畑から風当たりの少ない現在の地に移築され、屋敷の南側には風除けのための石垣が築かれました。
金曜日、土曜日、日曜日のみの開館で、開館時間は10:00~17:00となっています。
【案内板】



【玄関】







【八畳岩】 屋敷の近くにある八畳岩からは、高知城や城下街、果ては太平洋まで見渡せる絶景を見渡せます。
龍馬はここからよく遠く眺めたり、この岩の上にゴザを敷いて良助氏と一緒に酒を飲んだりしていたそうです。




龍馬は、岩の上にゴザを敷いて良助氏と囲碁もしていたみたいですね。

ちなみに、八畳岩の案内看板は目立たない所に立っているので、よく探して下さい。(私自身、かなり探し回りました)


坂本龍馬記念館
高知県高知市にある坂本龍馬に関する博物館で、1991年の龍馬の誕生日である11月15日に開館。


屋上の展望台から眺める太平洋の大パノラマは圧巻で、初めて訪れた時は衝撃を受けました。


龍馬のうまれたまち記念館
高知駅からほど近い場所にある龍馬の資料館。
龍馬の人間形成の基盤となる家族や街を紹介し、近代国家の設立に尽力した龍馬を顕彰するため、2004年3月に龍馬の生誕地である上町に開館。

龍馬が生まれてから脱藩までを過ごした上町の歴史や文化を模型やCG映像などで紹介しています。



坂本龍馬像
地元の青年有志の募金活動で1928年に建立された龍馬の銅像で、桂浜公園の高台にあります。





高知の坂本龍馬ゆかりの地巡りで最大の難関なのが、田中良助旧邸ではないでしょうか。 高知駅前から車での行程30分の2/3が山道で、車2台がやっと通れるような細く曲がりくねった道が続き、時々対トラックが対向車として走ってきます。 途中からはガードレールも無くなり、「こんな所に史跡があるの?」と思ってしまうほどの風景になります。 さらに、旧宅は写真の右側の車が通れない細い坂を歩いていくルートなので、すぐ脇が崖になっている道路脇に路上駐車しなければなりません。
