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尾崎豊“伝説のダイブ”から40年

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 尾崎豊 “伝説のダイブ”

 
 日比谷野外音楽堂で1984年8月4日に初開催された反核・脱原発フェス「アトミックカフェ・ミュージック・フェス '84」。

 このコンサートで、まだ新人アーチストだった尾崎が、のちに伝説となる衝撃的なパフォーマンスを披露しました。

 “伝説のダイブ”から今日で40年目ということで、紹介しますーー。





 
 照明イントレからダイブ


 まだ無名の新人アーチストだった尾崎は、ギターを抱えて朝霞の自宅から電車で会場入り。
 
 6番目に出演した彼は、タバコを吸いながらステージに登場した。彼に与えられていた持ち時間は17時から約30分間。

 尾崎は、ピアノの前に座って歌い始めた。1曲目の『反核』は、のちの『核 (CORE) 』の原曲。




 
 そして、2曲目の『Scrambling Rock'n' Roll』の曲中に、のちに伝説になる事件が起きた。
  
 演奏中に、 高さ7mの照明イントレによじ登り、そこからコンクリートのステージに飛び降りて、左足の踵を骨折してしまったのだ。

 一旦ステージ裏にはけ、救急車が呼ばれたが、尾崎は救急車を待機させてステージを続行。


      


 最初は片足を浮かせながら歌っていたが、次第にスタッフに抱えられて歌うようになり、最後はステージに這いつくばって激痛に耐えながら予定曲を歌い切った。





 
 全治3カ月の重傷


 その後、本人の希望もあり、出自した自衛隊中央病院に搬送され、右蹠(あしうら)捻挫・左踵(かかと)骨圧迫骨折で全治3カ月と診断される。

 左踵の骨が一部陥没しており、整復手術のため2週間入院することになり、翌日の吉川晃司とのジョイントライブも含めて、以降のスケジュールは全て白紙となった。
  
 退院後は松葉杖での生活が続き、ギブスが取れたのは11月下旬、ボルトを抜いたのは翌年2月だったという――。
 
 
 <SET LIST>
 
  1. 反核
  2. Scrambling Rock' n' Roll
  3. 十七歳の地図
  4. 愛の消えた街






【出典】「OZAKI50」「尾崎豊 十代の真実」「Freeze Moon
 


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